ばらの前に立ち止まって、一えだ折《お》った。それからわたしのほうを向いてそのえだを二つにさいた。その両方にばらのつぼみが一つずつ開きかけていた。
くちびるのことばは目のことばに比《くら》べては小さなものである。目つきに比べて、ことばのいかに冷《つめ》たく、空虚《くうきょ》であることよ。
「リーズ、リーズ」とおばさんがさけんだ。
荷物はもう馬車の中に積《つ》みこまれていた。
わたしはハープを下ろして、カピを呼《よ》んだ。わたしのむかしに返ったおなじみの姿《すがた》を見ると、かれはうれしがって、とび上がって、ほえ回った。かれは花畑の中に閉《と》じこめられているよりも、広い大道の自由を愛《あい》した。
みんなは馬車に乗った。わたしはリーズをおばさんのひざに乗せてやった。わたしはそこに半分目がくらんだようになって立っていた。するとおばさんが優《やさ》しくわたしをおしのけて、ドアを閉《し》めた。
「さようなら」
馬事は動きだした。
もやの中でわたしはリーズが窓《まど》ガラスによって、わたしに手をふっているのを見つけた。やがて馬車は町の角を曲がってしまった。見えるものはもう砂《すな》けむりだけであった。わたしはハープによりかかって、カピが足の下でからみ回るままに任《まか》せた。ぼんやり往来《おうらい》に立ち止まって目の前にうず巻《ま》いているほこりをながめていた。たって行ったあとのうちを閉《し》めてかぎを家主にわたしてくれることをたのまれた隣家《りんか》の人がそのときわたしに声をかけた。
「おまえさん、そこで一日立っているつもりかね」
「いいえ、もう行きます」
「どこへ行くつもりだ」
「どこへでも、足の向くほうへ」
「おまえさん、ここにいたければ」と、かれはたぶん気のどくに思っているらしく、こう言った。「わたしの所へ置《お》いてあげよう。けれど給金《きゅうきん》ははらえないよ。おまえさんはまだ一人前ではないからなあ。いまにすこしはあげられるようになるかもしれない」
わたしはかれに感謝《かんしゃ》したが、「いいえ」と答えた。
「そうか。じゃあかってにおし。わたしはただおまえさんのためにと思っただけだ。さようなら。無事《ぶじ》で」
かれは行ってしまった。馬車は遠くなった。うちは閉《と》ざされた。
わたしはハープのひもを肩《かた》にかけた。カピはすぐ気がついて立ち上
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