て来た。これこそむかしのバルブレンのおっかあで、だいている子どもは、わたしのむすこのマチアであった。
 アーサがそのとき「タイムズ」新聞を一|枚《まい》持って来て、ウィーンの通信記事《つうしんきじ》を読めといって見せてくれた。それを見ると、いまは大音楽家になったマチアが、演奏会《えんそうかい》を一とおりすませたところで、とりわけウィーンでの大成功《だいせいこう》がかれをせつに引き止めているにかかわらず、あるやむにやまれないやくそくを果《は》たすため、ただちにイギリスに向かって出発の途《と》に着いたと書いてあった。わたしはそのうえ新聞記事をくどくどと読む必要《ひつよう》がなかった。いまでこそ世間はかれを、ヴァイオリンのショパンだといってほめそやすが、わたしはとうからかれのめざましい成長発達《せいちょうはったつ》を予期《よき》していた。わたしと弟とかれと三人、同じ教師《きょうし》について勉強していたじぶん、マチアは、ギリシャ語やラテン語こそいっこう進歩はしなかったが、音楽ではずんずん先生を凌駕《りょうが》(しのぐ)していた。こうなると、マンデの床屋《とこや》さん兼業《けんぎょう》の音楽家エピナッソー先生の予言《よげん》がなるほどとうなずかれた。
 そのとき、配達夫《はいたつふ》が一通の電報《でんぽう》を配達《はいたつ》して来た。その文言《もんごん》にはこうあった。
「海上はなはだあらく、ひどくなやまされた。とちゅうパリに一|泊《ぱく》。妹クリスチーナを同伴《どうはん》四時に行く。出むかえの馬車をたのむ。マチア」
 クリスチーナの名が出たので、わたしはアーサの顔を見た。するとかれはきまり悪そうに目をそらせた。アーサがマチアの妹のクリスチーナを愛《あい》していることはわたしにはわかっていた。そしていつか、それがいますぐというのではなくとも、母がこの結婚《けっこん》を承知《しょうち》することはわかっていた。子どもの誕生《たんじょう》のお祝《いわ》いばかりですむものではない。母はわたしの結婚にも反対しなかった。いまにそうするのが、つまりアーサのためだとわかれば、これにも反対するはずがなかった。
 リーズ、わたしの美しい美しいリーズがろうかを通って出て来て、わたしの母の頭に手をかけた。
「ねえ、お母さま」とかの女は言った。「あなたはうまくたくらみ[#「たくらみ」に傍点]にかかって
前へ 次へ
全163ページ中160ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
マロ エクトール・アンリ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング