って、先にわたしを中へつっこんでおいて、自分もあとからはいって、ドアをぴしゃりと立てた。
わたしはほっとした。
そこは危険《きけん》な場所とは思われなかった。それに先《せん》からわたしは、この中がいったいどんな様子になっているのだろうと思っていた。
旅館《りょかん》御料理《おんりょうり》カフェー・ノートルダーム。中はどんなにきれいだろう。よく赤い顔をした人がよろよろ中から出て来るのをわたしは見た。表のガラス戸は歌を歌う声や話し声で、いつもがたがたふるえていた。この赤いカーテンの後ろにはどんなものがあるのだろうと、いつもふしぎに思っていた。それをいま見ようというのである……
バルブレンはいま声をかけた亭主《ていしゅ》と、食卓《しょくたく》に向かい合ってこしをかけた。わたしは炉《ろ》ばたにこしをかけてそこらを見回した。
わたしのいたすぐ向こうのすみには、白いひげを長く生やした背《せい》の高い老人《ろうじん》がいた。かれはきみょうな着物を着ていた。わたしはまだこんな様子の人を見たことがなかった。
長い髪《かみ》の毛《け》をふっさりと肩《かた》まで垂《た》らして、緑と赤の羽根《はね》でかざったねずみ色の高いフェルト帽《ぼう》をかぶっていた。ひつじの毛皮の毛のほうを中に返して、すっかりからだに着こんでいた。その毛皮服にはそではなかったが、肩《かた》の所に二つ大きな穴《あな》をあけて、そこから、もとは録色だったはずのビロードのそでをぬっと出していた。ひつじの毛のゲートルをひざまでつけて、それをおさえるために、赤いリボンをぐるぐる足に巻きつけていた。
かれは長ながといすの上に横になって、下あごを左の手に支《ささ》えて、そのひじを曲げたひざの上にのせていた。
わたしは生きた人で、こんな静《しず》かな落ち着いた様子の人を見たことがなかった。まるで村のお寺の聖徒《せいと》の像《ぞう》のようであった。
老人《ろうじん》の回りには三びきの犬が、固《かた》まってねていた。白いちぢれ毛のむく犬と、黒い毛深いむく犬、それにおとなしそうなくりくりした様子の灰《はい》色の雌犬《めすいぬ》が一ぴき。白いむく犬は巡査《じゅんさ》のかぶる古いかぶと帽《ぼう》をかぶって、皮のひもをあごの下に結《ゆわ》えつけていた。
わたしがふしぎそうな顔をしてこの老人《ろうじん》を見つめているあいだに、バルブレンと居酒屋《いざかや》の亭主《ていしゅ》は低《ひく》い声でこそこそ話をしていた。わたしのことを話しているのだということがわかった。
バルブレンはわたしをこれから村長のうちへ連《つ》れて行って、村長から孤児院《こじいん》に向かって、わたしをうちへ置《お》く代わりに養育料《よういくりょう》が請求《せいきゅう》してもらうつもりだと言った。
これだけを、やっとあの気のどくなバルブレンのおっかあが夫《おっと》に説《と》いて承諾《しょうだく》させたのであった。けれどわたしは、そうしてバルブレンがいくらかでも金がもらえれば、もうなにも心配することはないと思っていた。
その老人《ろうじん》はいつかすっかりわきで聞いていたとみえて、いきなりわたしのほうに指さしして、耳立つほどの外国なまりでバルブレンに話しかけた。
「その子どもがおまえさんのやっかい者なのかね」
「そうだよ」
「それでおまえさんは孤児院《こじいん》が養育料《よういくりょう》をしはらうと思っているのかね」
「そうとも。この子は両親がなくって、そのためにおれはずいぶん金を使わされた。お上《かみ》からいくらでもはらってもらうのは当たり前だ」
「それはそうでないとは言わない。だが、物は正しいからといってきっとそれが通るものとはかぎらない」
「それはそうさ」
「それそのとおり。だからおまえさんが望《のぞ》んでおいでのものも、すらすらと手にはいろうとはわたしには思えないのだ」
「じゃあ孤児院《こじいん》へやってしまうだけだ。こちらで養《やしな》いたくないものを、なんでも養えという法律《ほうりつ》はないのだ」
「でもおまえさんははじめにあの子を養いますといって引き受けたのだから、そのやくそくは守らなければならない」
「ふん、おれはこの子を養《やしな》いたくないのだ。だからどのみちどこへでもやっかいばらいをするつもりでいる」
「さあ、そこで話だが、やっかいばらいをするにも、手近なしかたがあると思う」老人《ろうじん》はしばらく考えて、「おまけに少しは金にもなるしかたがある」と言った。
「そのしかたを教えてくれれば、おれは一ぱい買うよ」
「じゃあさっそく一ぱい買うさ。もう相談《そうだん》は決まったから」
「だいじょうぶかえ」
「だいじょうぶよ」
老人《ろうじん》は立ち上がって、バルブレンの向こうに席《せき》をしめた。ふしぎ
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