家なき子
SANS FAMILLE
(上)
マロ Malot
楠山正雄訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)捨《す》て

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)四|枚《まい》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)えにしだ[#「えにしだ」に傍点]
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     生い立ち

 わたしは捨《す》て子《ご》だった。
 でも八つの年まではほかの子どもと同じように、母親があると思っていた。それは、わたしが泣《な》けばきっと一人の女が来て、優《やさ》しくだきしめてくれたからだ。
 その女がねかしつけに来てくれるまで、わたしはけっしてねどこにははいらなかった。冬のあらしがだんごのような雪をふきつけて窓《まど》ガラスを白くするじぶんになると、この女の人は両手の間にわたしの足をおさえて、歌を歌いながら暖《あたた》めてくれた。その歌の節《ふし》も文句《もんく》も、いまに忘《わす》れずにいる。
 わたしが外へ出て雌牛《めうし》の世話をしているうち、急に夕立がやって来ると、この女はわたしを探《さが》しに来て、麻《あさ》の前かけで頭からすっぽりくるんでくれた。
 ときどきわたしは遊《あそ》び仲間《なかま》とけんかをする。そういうとき、この女の人はじゅうぶんわたしの言い分を聞いてくれて、たいていの場合、優《やさ》しいことばでなぐさめてくれるか、わたしの肩《かた》をもってくれた。
 それやこれやで、わたしに物を言う調子、わたしを見る目つき、あまやかしてくれて、しかるにしても優《やさ》しくしかる様子から見て、この女の人はほんとうの母親にちがいないと思っていた。
 ところでそれがひょんな事情《じじょう》から、この女の人が、じつは養《やしな》い親《おや》でしかなかったということがわかったのだ。
 わたしの村、もっと正しく言えばわたしの育てられた村は――というのが、わたしには父親や母親という者がないと同様に、自分の生まれた村というものがなかったのだから――で、とにかくわたしが子どもの時代を過《す》ごした村は、シャヴァノンという村で、それはフランスの中部地方でもいちばんびんぼうな村の一つであった。
 なにしろ土地がいたってやせていて、どうにもしようのない場所であった。どこを歩いてみても、すきくわのはいった田畑というものは少なくて、見わたすかぎりヒースやえにしだ[#「えにしだ」に傍点]のほか、ろくにしげるもののない草原で、そのあれ地を行きつくすと、がさがさした砂地《すなじ》の高原で、風にふきたわめられたやせ木立ちが、所どころひょろひょろと、いじけてよじくれたえだをのばしているありさまだった。
 そんなわけで、木らしい木を見ようとすると、丘《おか》を見捨《みす》てて谷間へと下りて行かねばならぬ。その谷川にのぞんだ川べりにはちょっとした牧草《ぼくそう》もあり、空をつくようなかしの木や、ごつごつしたくりの木がしげっていた。
 その谷川の早い瀬《せ》の末《すえ》がロアール川の支流《しりゅう》の一つへ流れこんで行く、その岸の小さな家で、わたしは子どもの時代を送った。
 八つの年まで、わたしはこの家で男の姿《すがた》というものを見なかった。そのくせ、『おっかあ』と呼《よ》んでいた人はやもめではなかった。夫《おっと》というのは石工《いしく》であったが、このへんのたいていの労働者《ろうどうしゃ》と同様パリへ仕事に行っていて、わたしが物心《ものごころ》ついてこのかた、つい一度も帰って来たことはなかった。ただおりふしこの村へ帰って来る仲間《なかま》の者に、便《たよ》りをことづけては来た。
「バルブレンのおっかあ、こっちのもたっしゃだよ。相変《あいか》わらずかせいでいる、よろしく言ってくれと言って、このお金を預《あず》けてよこした。数えてみてください」
 これだけのことであった。おっかあも、それだけの便《たよ》りで満足《まんぞく》していた。ご亭主《ていしゅ》がたっしゃでいる、仕事もある、お金がもうかる――と、それだけ聞いて、満足《まんぞく》していた。
 このご亭主《ていしゅ》のバルブレンがいつまでもパリへ行っているというので、おかみさんと仲《なか》が悪いのだと思ってはならない。こうやって留守《るす》にしているのは、なにも気まずいことがあるためではない。パリに滞在《たいざい》しているのは仕事に引き留《と》められているためで、やがて年を取ればまた村へ帰って来て、たんまりかせいで来たお金で、おかみさんと気楽にくらすつもりであった。
 十一月のある日のこと、もう日のくれに、見知らない一人の男がかきねの前に立ち止まった。そのときわたしは、門口《かどぐち》でそだを折《お》っていた。中にはいろうともしないで、かきねの上からぬっと頭を出
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