だまで水がしみ通って、わたしたちはとても笑顔《えがお》をうかべてねむる元気はなかった。
ディジョンをたってから、コートドールの山道をこえたときなどは、雨にぬれて骨《ほね》までもこおる思いをした。ジョリクールなどは、わたしと同様いつも情《なさ》けない悲しそうな顔をしていた。よけい意地悪くなっていた。
親方の目的《もくてき》は少しでも早くパリへ行き着くことであった。それは冬のあいだ芝居《しばい》をして回れるのはパリだけであった。わたしたちはもうごくわずかの金しか得られなかったので、汽車に乗ることもできなかった。
道みちの町や村でも、日和《ひより》のつごうさえよければ、ちょっとした興行《こうぎょう》をやって、いくらかでも収入《しゅうにゅう》をかき集めて、出発するようにした。寒さと雨とで苦しめられながら、でもシャチヨンまではどうにかしてやって来た。
シャチヨンをたってから、冷《つめ》たい雨の降《ふ》ったあとで、風は北に変《か》わった。
もういく日かしめっぽい日が続《つづ》いたあとでは、わたしたちも顔にかみつくようにぶつかる北風を、いっそ気持ちよく思っていたが、まもなく空は大きな黒い雲でおおわれて、冬の日はすっかりかくれてしまった。大雪の近づいていることがわかっていた。
わたしたちがちょっとした大きな村に着くまではまだ雪にもならなかった。でも親方は、なんでもトルアの町へ早く行こうとあせっていた。そこは大きい町だから、ひじょうに悪い天気で五、六|日《にち》逗留《とうりゅう》しても、少しは興行《こうぎょう》を続《つづ》けて回る見こみがあった。「早くとこにおはいり」とその晩《ばん》宿屋《やどや》に着くと親方は言った。「あしたはなんでも早くからたつのだ……だが雪に降《ふ》りこめられてはたまらないなあ」
でもかれはすぐにはとこにはいらなかった。台所の炉《ろ》のすみにこしをかけて、寒《さむ》さでひどく弱っているジョリクールを暖《あたた》めていた。さるは毛布《もうふ》にくるまっていても、やはり苦しがって、うめき声をやめなかった。
あくる日の朝、わたしは言いつけられたとおり早く起きた。まだ夜が明けてはいなかった。空はまっ暗な雲が低《ひく》く垂《た》れて、星のかげ一つ見えなかった。ドアを開けると、はげしい風がえんとつにふき入って、危《あぶ》なくゆうべ灰《はい》の中にうずめたほだ火をまい上げそうにした。
宿屋《やどや》の亭主《ていしゅ》は親方の顔を見て、
「わたしがあなただったら、きょうは出るどころではありません。いまにひどいふぶきになりますぜ」
「わたしは急いでいるのだ」と親方は答えた。「その大ふぶきの来るまえにトルアまで行きたいと思っている」
「六、七里(約二十四〜二十八キロ)もありますよ。一時間やそこらで行けるものですか」
でもかまわずわたしたちは出発した。
親方はジョリクールをしっかりからだにだきしめて、自分の温かみを少しでも分けてやろうとした。犬は固《かた》いこちこちな道を歩くのをうれしがって、先に立ってかけた。親方はデイジョンでわたしにひつじの毛皮服を買ってくれたので、わたしは毛を裏にしてしっかり着こんだ。これがこがらしでべったりからだにふきつけられていた。
わたしたちは口を開くのがひどくふゆかいだったので、だまりこんで歩きながら、少しでも暖《あたた》まろうとして急いだ。
もう夜明けの時間をよほど過《す》ぎていたが、空はまだまっ暗であった。東のほうに白っぽい帯《おび》のようなものが雪の間に流れてはいたが、太陽は出て来そうもなかった。
野景色《のげしき》を見わたすと、いくらか物がはっきりしてきた。葉をふるった木も見えるし、灌木《かんぼく》や小やぶの中でかれっ葉ががさがさ風に鳴っていた。
往来《おうらい》にも畑にも出ている人はなかった。車の音も聞こえないし、むちの鳴る音も聞こえなかった。
ふと北の空に青白い筋《すじ》が見えたが、だんだん大きくなってこちらのほうへ向かって来た。そのときわたしたちはきみょうながあがあいうささやき声のような音を聞いた。それはがん[#「がん」に傍点]か野の白鳥のさけび声であったろう。この気ちがいじみた鳥の群《む》れは、わたしたちの頭の上を飛《と》んだと思うと、もう北から南のほうへおもしろそうにかけって行った。かれらが遠い空の中に見えなくなると、やわらかな雪片《せっぺん》が静《しず》かに落ちて来た。それは空中を遊び歩いているように見えた。
わたしたちが通って行く道は喪中《もちゅう》のようにしずんでさびしかった。あれきって陰気《いんき》な野原の上にただ北風のはげしいうなり声が聞こえた。雪片が小さなちょうちょうのように目の前にちらちらした。絶《た》えずくるくる回って、地べたに着くことがなかった。
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