である。
アーサはわたしが帰って行くという話を聞くと、急にさけびだした。
「帰っちゃいやだ、ルミ。行ってしまってはいやだ」
かれはすすり泣《な》きをしていた。
わたしはかれに、自分がヴィタリス親方のものになっていること、かれが金を出して両親からわたしを借《か》りていること、用のあるときいつでも帰って行かなければならないことを話した。
わたしは両親のことを話した。けれどもそれがほんとうの父親でも母親でもないことは話さなかった。わたしは自分が捨《す》て子《ご》であることをはじに思った――往来《おうらい》で拾われた子どもだということを白状《はくじょう》することをはじに思った。わたしは孤児院《こじいん》の子どもというものがどんなにあなどられるものであるか知っていた。世の中で捨《す》て子《ご》であるということほどいやなことがあろうとは、わたしには思えなかった。それをミリガン夫人《ふじん》やアーサに知られることを好《この》まなかった。それを知られたら、あの人たちはわたしをきらうようになるだろう。
「お母さま、ルミはどうしても止めておかなければだめですよ」とアーサは言い続《つづ》けた。
「わたしもルミをここへ止めておくことはたいへんけっこうだと思うけれど」とミリガン夫人《ふじん》は答えた。「わたしたちはずいぶんあの子が好《す》きなのだからね。でもこれには二つやっかいなことがある。第一にはルミがいたがっているかどうか……」
「ああ、それはいますとも、いますとも」とアーサがさけんだ。「ねえルミ、行きたかないねえ、ツールーズへなんか」
「第二には」と、ミリガン夫人《ふじん》がかまわず続《つづ》けた。「この子の親方が手放すだろうか、どうかということですよ」
「ルミが先です。ルミが先です」とアーサは言い張《は》った。
ヴィタリスはいい親方であった。かれがわたしにものを教えてくれたことに対しては、わたしはひじょうに感謝《かんしゃ》していた。けれどもかれとくらすのと、アーサとこうしてくらすのとではとても比較《ひかく》にはならなかった。同時に親方に持つ尊敬《そんけい》と、ミリガン夫人《ふじん》とその病身の子どもに対して持つ愛着《あいちゃく》とは比較にはならなかった。わたしはこういう外国人を、世話になった親方よりありがたいものに思うのはまちがっていると感じていた。けれどもそれはそのとおりにちがいなかった。わたしはミリガン夫人とアーサを心から愛《あい》していた。
「ルミがわたしたちの所にいても、いいことばかりはないでしょう」とミリガン夫人《ふじん》は続《つづ》けた。
「この船にだって遊び半分ではいられません。ルミもやはりあなたと同じようにたくさん勉強をしなければなりません。とても青空の下で旅をして回るような自由な境涯《きょうがい》ではないでしょう」
「ああ、ぼくの思っていることがおわかりでしたら……」とわたしは言いかけた。
「ほらほらね、お母さま」とアーサが口を出した。
「ではわたしたちがこれからしなければならないことは」とミリガン夫人《ふじん》が言った。「この子の親方の承諾《しょうだく》を受けることです。わたしはまあ手紙をやってここへ来てもいようにたのんでみましょう。こちらからツールーズへは行かれないからね。わたしは汽車賃《きしゃちん》を送ってあげて、なぜこちらから汽車に乗って行かれないか、そのわけをよく書いてあげましょう。つまりこちらへ呼《よ》ぶことになるのだが、たぶん承知《しょうち》してくださることだろうと思うから、それで相談《そうだん》したうえで、親方がこちらの申し出を承知してくだされば、今度はあなたのご両親と相談することにしましょう。むろんだまっていることはできないからね」
この最後《さいご》のことばで、わたしの美しいゆめは破《やぶ》れた。
両親に相談《そうだん》する。そうしたらかれらはわたしが内証《ないしょう》にしようとしていることをすぐ言いたてるだろう。わたしが捨《す》て子《ご》だということを言いたてるだろう。
ああ捨《す》て子《ご》。そうなればアーサもミリガン夫人《ふじん》もわたしをきらうようになるだろう。
まあ自分の父親も母親も知らない子どもが、アーサの友だちであったか。
わたしはミリガン夫人の顔をまともにながめた。なんと言っていいか、わたしはわからなかった。かの女はびっくりしてわたしの顔を見た。わたしがどうしたのか、かの女はたずねようとしたが、わたしはそれに答えもできずにいた。たぶん親方が帰って来るという考えに気が転倒《てんとう》していると考えたらしく、かの女はそのうえしいては問わなかった。
幸いにじきねむる時間が来たので、アーサからいつまでもふしぎそうな目で見られずにすんだ。やっと心配しながら自分の部屋《へや》に一人
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