きた。犬たちは哀願《あいがん》するような目つきをたえずわたしに向けた。そしてジョリクールはおなかをさすって、おこって、きゃっきゃっとさけんでいた。
 それでもゼルビノはまだ帰って来なかった。もう一度わたしはカピをやって、なまくらものの行くえを探《さが》させた。けれども三十分たってから、やはりカピだけ独《ひと》りぼんやり帰って来た。
 どうしたらいいであろう。
 ゼルビノは罪《つみ》を犯《おか》したが、またかれの過失《かしつ》のためにわたしたちはこんなひどい目に会わされることになったのであるが、かれをふり捨《す》てることはできなかった。三びきの犬を満足《まんぞく》に連《つ》れて帰らなかったら、親方はなんと言うであろう。それになんといっても、わたしはあのいたずら者のゼルビノをかわいがっていた。
 わたしは晩《ばん》がたまで待つ決心をした。けれどなにもせずにいることはできるものではなかった。わたしたちはなにかしていればきっとこれほどひどい空腹《くうふく》がこたえないであろうと思った。
 わたしはなにか気をまぎらすことを考え出したなら、さし当たりこれほどひもじい思いを忘《わす》れるかもしれない。
 なにをしたらよかろう。
 わたしはこの問題をいろいろ考え回した。そのときわたしが思い出したのは、ヴィタリス親方がいつか言ったことに、軍隊《ぐんたい》が長い行軍《こうぐん》で疲労《ひろう》しきると、楽隊《がくたい》がそれはゆかいな曲を演奏《えんそう》する、それで兵隊《へいたい》の疲労を忘《わす》れさせるようにするというのであった。
 そうだ。わたしがなにかゆかいな曲をハープでひいたら、きっと空腹《くうふく》を忘れることができるかもしれない。わたしたちはみんなひどく弱りきっている。でもなにかゆかいな曲をひいたら、かわいそうな二ひきの犬たちも、ジョリクールといっしょにおどりだして、時間が早く過《す》ぎるかもしれない。
 わたしは二本の木によせかけておいた楽器《がっき》を取り上げて、堀割《ほりわり》のほうに背中《せなか》を向けながら、動物たちの列を作ってならばせ、ダンス曲をひき始めた。
 初《はじ》めのうちは、犬もさるもダンスをする気にもなれないらしかった。かれらの欲望《よくぼう》は食べ物のほかになかった。そのいじらしい様子を見ると、わたしの胸《むね》は痛《いた》んだ。けれどもかわいそうに、かれらも空腹《くうふく》を忘《わす》れなければならなかった。わたしはいよいよ調子を高く早くとひいた。すると少しずつだんだんに、音楽がその偉力《いりょく》を現《あらわ》してきた。かれらはおどりだした。わたしはひき続《つづ》けた。
「うまい」――ふとわたしはすみきった子どもの声でこうさけぶのを聞いた。その声はすぐ後ろから聞こえた。わたしはあわててふり向いた。
 一せきの遊船《ゆうせん》が堀割《ほりわり》の中に止まっていた。その小舟《こぶね》を引《ひ》っ張《ぱ》っている二ひきの馬は、向こう岸に休んでいた。それはきみょうな小舟であった。わたしはまだこんなふうな船を見たことはなかった。
 それは堀割にうかんでいるふつうの船に比《くら》べて、ずっとたけが短かった。そして水面からわずか高い甲板《かんぱん》の上には、ガラスしょうじをたてきった船室があり、その前にはきれいなろうかがあって、つたの葉でおおわれていた。
 そこには二人、人がいた。一人はまだ若《わか》い貴婦人《きふじん》で、美しい、そのくせ悲しそうな顔をしていた。もう一人はわたしぐらいの年ごろの男の子で、これはあお向けにねているらしかった。
「うまい」と声をかけたのは、あきらかにこの子どもであった。
 わたしはかれらを見つけて、一度はたいへんびっくりしたが、落ち着くと、わたしはぼうしを取って、かれらの賞賛《しょうさん》に感謝《かんしゃ》の意を表《ひょう》した。
「あなたはお楽しみにやっておいでなのですか」と、貴婦人《きふじん》は外国なまりのあるフランス語で言った。
「わたしは犬をしこんでいるのです。それに……自分の気晴らしにも」
 子どもはなにか言った。婦人はそのほうにのぞきこんだ。
「あなた、まだやってもらえますか」と、そのとき貴婦人《きふじん》はこちらを向いて言った。
 なにかやってくれるか。やらなくってどうするものか。こういうところへ来てくれたお客のために、どうしてやらずにいられよう。わたしはそれを二度と言われるまでも待たなかった。
「ダンスにしましょうか。喜劇《きげき》にしましょうか」とわたしは聞いた。
「ああ、喜劇だ、喜劇だ」と子どもがさけんだ。
 けれども貴婦人《きふじん》は口をはさんで、「まあ先にダンスを」と言った。
「ダンスはだって短すぎるもの」と子どもは言った。
「お客さまのお望《のぞ》みとございまし
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