であろうか?
私には分らない。あまり信用のおけぬ潜在意識下に何か私の顕在意識と異った思想が埋没されていて、それが浅間しくも夢の姿で現れて来るのか? 私は根からの悪人なのか? それとも、之は何か心の狂いに過ぎぬのか?
「楽しい場合にも、苦しい場合にも、お前達は互いに人と人との間の深い縁を感じあえよ。楽しい場合には、それに依って楽しみが倍になるし、苦しい場合には、その苦しみが和らげられるのではないか。」
私は此の頃強く痛く如上の言葉の正しさを感じているのだ。それは簡単な教えである。
「愛してやれよ。」と云う声が上から聞え、
「愛して下さい。」と云う声が下に聞えているではないか。
私が火傷した老職工の家庭を助けてやろうと考え、又それを実行して来たのは一体何故であり、何の目的であったか? 之をも「復讐の代償」と呼び捨てる無慈悲な人が何処にいるだろう。ああ之が自暴自棄から起った業とらしい忍苦だと誰が判断するか?
おお、眼にはっきりと見えて来る。老人は爛れた神経の尖に熱した針の苦痛を味って床の上を転がり廻っている。幼い子供は恐ろしがって南京鼠のように怯え、慌て、這い廻っている。一番小さい子丈が平気で、お椀へ一杯砂を盛り上げて、何の真似か知らぬが、小さい手を合せて拝んでいる。
之は何でもない事だと、耳で聴いた人は云うであろう。だが眼で見たものが、此の哀れな生きものたちへ「復讐の代償」を試みる勇気があろうか? 「愛してやって呉れよ。」その言葉は誰の口から出ようとも、此の場合に当て嵌った真実ではないか?
一日二円を儲けた人が、一円を割りさいて与えようと思うのは此のような時である。
「その品はあの人にやって下さい。」
「その本をあの子に教えてやって下さい。」
「その楽しい歌をあの子に唱わして下さい。」
皆は斯う願わねばなるまい。ああ、それは本能によっても、思想によっても、当然なことではないか。もう分り過ぎた事である。
私は本当に心が片輪なのではなかった。唯時々片輪になるに過ぎない。私には正しい事物が好く分るのだ。だのに、あの少女を、あの正直そうな初心な盗人の処女を何うして罠へ引き入れ得るか?
私には時々悪魔が取りつくのか? 幼い時に正しい愛で養育されなかった事、思春期に於ける修養を欠いた事、この二つは悪魔の大好物である。私は不当な変態心理の父母を持たねばならなかった。私は悪い友の中でばかり遊んだ。善良なものを見ぬために、不良なものを当り前と思い込んだ。それが今頃になって漸く分って来たのである。
誰か私を縛る繩を解いて呉れ、耳へ詰っている砂を掘り出して呉れ、魚の鱗のような曇りを私の白内障のような眼から取り去って呉れ。
おお、それ丈ではない。早く、早く、今の内、あしたではもう遅い。今直ぐ、何処かに繩でつるされて唸っている継子を下へ下してやって呉れ、焼火箸を継母の手から取り去って呉れ。
きびし過ぎる親と、無関心過ぎる親とを集め、私を実例にして何か恐ろしい事を講話してやって呉れ。虐待される幼児達を悪い親の手から離して、情深い師匠の下に置いて呉れ。
それが済んだら、子供達の偏屈と意地悪とを矯正してやって呉れ、幼芽の中は樫でさえ好くしなう。それが肝心な所である。
柔和な話を聞かせ、さらに、柔和な行為を現実で見せてやり、何を模倣す可きか、よりも、之を模放せよ、之を習慣にせよ、と教えてやって呉れ。此の模倣、この習慣からこそ将来、何をなす可きか、を知る健全な思慮は生れ出ずるのである。車を正しく走らすために、軌道を与える事、之が何よりも初めの仕事である。
いや、然し、再び、私は私の事を考える可きであった。夜中でも構わない。私はあの免職教員へ悉くあった事、之から起りそうな事を話し、愬《うった》え、懺悔しよう。神を知らぬ私は、唯、あの教員に「許して下さい。」と願って伏し倒れよう。そして、一切の始末をつけて貰わねばいけないのだ。私は気の替り易い悪人である。今正直にしていても、あしたは盗みを平気でしているかも知れない様な、そんな頼りにならぬ罪人である。
「善い事をしようとして、悪い事へ導かれる男」それが私と云う人間である。
ことによったら、妹の「復讐」をも、(卑怯からでなく、勇気と親愛とから)[#「(」「)」は、「(」「)」が二つ重なったもの]断念せねばなるまい。ああ、そして、それも善い事なのだと大勢の人が話している。
斯くて私は夜中に雨をついて免職教員を訪ね、謝罪すべき点を謝罪し、頼む可き事をすっかり頼んだ。
翌日の夜になると、教員は私の代理として、あの盗みをした処女の家の近くへ出掛けて行った。処女は約束を守って、八時になると、家から出て来、待っている教員を私と間違えて慄えた。柔和な教員は一切の事情を上手に分り好く話してやり、彼の女の心
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