切られる竹を惜しむのに、死んで行く人を祝福する厭世家である。此の矛盾の為めに、私は彼の魂を握る事が出来ない。其処で直接彼に質問して見た。
「何故、生きている竹を切る時は、眉毛動かすか。そして何故死んだ竹が並んでいても眉毛、其の儘か?」
「何も不思議ない。死んだ竹、もう竹でない。石と同じ物質!」
此の答えを聞いて私は呆然として了ったのである。
彼が小さい物を愛する所から、私は彼を「玩具人」と呼ぼうと思っている。そして、凡て死骸を蔑視する点に於いては、彼を「蒙古の回々教徒」若しくは「神代に於ける日本の神々」と呼んで居るのである。
考え直して見れば、彼も大変可哀想な人間である。私は彼の造った汚いファインダーを借りて、彼の姿を覗いた事がある。彼の丈は高いが、弱い樹の様である。それより露西亜のボルゾオイとか云う犬が一層彼に似ている様に思われる。その犬の敏捷な点がではない……眠相にしている姿勢丈がである。
彼は外れた方向へ走る歪んだ球である。少し藪睨みで、その上愛の筒口が違う方を向いている。彼は人間を忌避し恐怖する。彼はあらゆる人間が意地悪く、拳で彼の腹を覘っていると想像する。彼はブツブツと呟き乍ら、花と虫とへ行く。そして春になっても尚、蓮根の様に冷たい穴だらけの魂を抱いているらしい。彼の魂は彼の肉体よりも先へ年とっている。千年も生きて了って、もう仕方なくなっている山椒魚が黒く湿気た落ち葉の堆積の下にうずくまって、五分若しくは十分間に一度づつ呼吸している有様に似ているのである。
犬殺しの考え
一寸した遠慮から、私は変態的な心理を持つ鮑吉を自分の友であると云ったが、実は、彼こそ私の友であると同時に、私の本統の父であったのを告白せねばならぬ。耻かしいけれども私はある靴直しの娘と此の変妙な支那人との間に出来た混血児なのである。だが私の心が曲って了った一番初めの原因は父の血のみに帰さる可きではない。私が道を歩く度に、近所の子供から侮辱され、石を投げられ、時にはつめられたりした事が皆その重要な元素であった。彼等は何時でも私を憎み乍ら、注視していた。そして私の汚い日本服の下に支那風な胴着をでも見ようものなら、彼等は犬のように吠えたてて、私の耻を路の真中へと曝け出した。
「お父さん。私ばかりを皆がいじめる。私許りを見詰めている。露路から抜けようとすると待ち伏せをしているし、大通りを歩くと皆が二階の窓から睨めて、唾で丸めた紙を投げるのです。」私は斯んなふうに子供らしい嘆きを洩した。けれども私を愛さぬ父は彼自身の少年時代が矢張り之と同じだったと答えた。そんな嘆きは段々と凝集して大きい塊りになって行き、ああ遂に全然別のものと変態して了ったのであった。
誰に向けられるのでもない漠然とした怨恨の情と、縁の下の蔓のようにいじけた僻みの根性とが、私の心を両方から閉ざす二つの扉となったのは極めて自然である。斯んな説明は誰も陳腐であるとして排斥する程、私の心の変化は普通の成り行である。
だが、私が十九才程に成長した時、一つの出来事が起って、其れが他の出来事をさそった。私の父は重い病気の後に死んだ。母は既に約束してあった男と早速何処かへ逃げて行って了った。遠く出稼ぎに出て居た私が駈け附けた時には、薄馬鹿の妹が小さく暗い家に足を投げ出して、何か考え事をしているのを見た丈であった。考え事と云っても別段分別の籠ったものではない。唯ウツラウツラとして時間のたつのを待っていた迄なのである。私も妹と一緒にウツラウツラとなって行った。何故か此の時私は自分が一年間でも、わざと犬殺しを家業にして来た事を深く後悔する事が出来た。私は泣いて妹に抱きついたが、妹は黙って足を投げ出していた。
「お前は奉公に行けるかい? 私も之から何かの職人になるから……」と私は兄らしい情をこめて囁いた。
「犬ころしは止すの?」と無邪気な妹が尋ねた。彼の女は丁度その時十七才であったが智恵は遅れていて、読書も算術も出来ない低能児であった。それにも拘らず、彼の女の体はもはや大人並の生理状態を持っていたのである。スペイン闘牛士のように美しい私は答えた。
「犬ころし! ウンそれはもう止そう。お父さんもいやがっていたからね。けれどだね。私は時々思うのだ。世間は態とムシャクシャ腹を立てさせて、一人の人間をもうすっかり自暴自棄にさせ、終いには残忍にさせる。そして、その残忍を何かしら世間の為めに有効に使おうとする。世間は残忍をも遊ばして置かない。斯うして依怙地な犬殺しが出来る。気狂い犬が減って、噛まれる人々が少くなる。うまいやり方ではないか。」
妹はノロく笑った。二人は父の死亡と母の遁走を一通り悲しむと、もう直ぐそれを忘れる事が出来た。いや結局此の方が好いようにさえ思われたのは何う云う訳だったであろう。
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