かしさの余り、その香水を所有したいと云ふ欲望にかられ、ほんの一二滴をシャンダーラム夫人へ乞《こ》うた訳なのである。
――今日、彼れは自身の体へその香水を振り撒《ま》いた。それは元より恋するものの身だしなみとしてではなく、母の姿を追ふ孤児の、せめてもの思ひやりとしてであつた。――
以上の告白を、とだえがちに語り終つた時、孤独な異国人のうるほうた眼は一層そのうるほひを増し初めた。苦痛の色は彼れの厳粛な前頭部を一層淋しく変化せしめた。
深い――然し極く単純な感動が私の胸をも打たずには居なかつた。私はどもりつつ、自分の早計な独断を重ね重ね詫《わ》びた。
闇《やみ》のおそひ初めた街路を一人で帰つて行く途中、私の心の中には異常に凄壮《せいさう》な大きい青海原《あをうなばら》が見え初めた。その冷却した透明な波の上に、少しも腐蝕する事なき四肢《しし》を形ちよくそろへた老婆の屍体は、仰臥《ぎやうぐわ》の姿で唯だ一人不定の方向へとただよつてゐた。
私の眼は急に涙の湧き上る熱を感じた。私は思はず立ちどまり、もう一度、ウラスマルの居宅の方を顧みて詫び入りたい心持ちになつた。今ことごとく想起する事が
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