出来るではないか? ウラスマルが曾《かつ》て窓から闇をのぞいて、二十分間もその体を静止したままでゐたのも、結局は、恋の思ひに打たれてではなく、彼れの不幸なる母の死を、ただ一人で悲しんでの事であつたに相違なかつた。
私はウラスマルが曾て不図《ふと》口走つた次の如き言葉の断片を懐かしい感じの内に想起し得る。――
「闇は際限もなく広大なものではあるが、然もそれを見ようとすると、きはめて小さい部分しか目に写つて来ない。」
恐らく、この言葉には何の特別な意味も理由もないに相違ない。けれども、一個の人間が折にふれてその心底に感じた通りを口に上せた言葉は、別に何の深い意味がなくとも、それ自身で充分愛するに足るものではなからうか? いや、強《し》ひて考へをめぐらすなら、この言葉はやはり「死」と何等かの関聯を持つたものとも云はれるだらう。死は確かに一つの深淵《しんえん》であり、我れ等の誰れもが未だかつて、その全様相を見きはめたと云ふ話を聞かぬからである。
[#地から2字上げ](大正十五年二月)
底本:「現代日本文学大系 91 現代名作集(一)」筑摩書房
1973(昭和48)年3月5日初版
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