さしつゝ、
「何か話して……」と、嘆願した。
 この一語は疑いもなく、彼れの心中の寂寥《せきりょう》を暗示しているものに他ならなかった。私は先ずその一事に心を打たれた。そして全く結果というものを考慮に入れる暇もなく、自然と次の如き意味を、整わぬ英語で口走った。
 ――病んでいる事は不幸である。然し、健康なものが悉《こと/″\》く幸福であろうか。私は今の先、一人の工夫が余りな生活難のため、発作的に気を取り乱し、丁度其処へ走って来たトラックの車輪の下へ態《わざ》と手を差し込んで、レールを俎《まないた》に、四本の指を断ち切って了ったのを見た。その各々の指からは一尺ずつの高さに血がほとばしった。彼れは、今、病院の外科室で治療を受けている。不幸な者が決して貴兄一人でない事を知ったならば、貴兄は何んなに日毎を気軽く過し得るだろう。何故なら、「不幸」も数多《あまた》集まれば、何かしら強力なものとなるのだから。――
 以上の言葉を聞いたラオチャンドは俄《にわ》かに声を隠して泣いた。その事は彼れの病気に大きい支障を来すおそれがあるので、私は慌てて口をつぐみ、あまり斟酌《しんしゃく》なく話し込んだ事を此の上もなく後悔した。私は何うかして彼れの愁傷を取り消したいと願いながら、当惑した眼を彼れの枕元へと落した時、半ば広げられた鼡色の風呂敷の中に、不図一枚の絵画と一本の日本風な横笛とを発見した。絵画は稍々《やゝ》原始的な石版刷りで、恐らくインドラという神の図であった。笛は幾らか寸の足りぬ安価相な出来で、その末端に、素人細工《しろうとざいく》らしい赤銅の鎖が付けてあった。
 所在なさに、私はその笛を取り上げ、そして、言う事がない為めに、却《かえ》って態と何かしらを口走った――
「早くお治りなさい、この笛を吹いて、楽しめるように……」
 言い遅れたが、彼れは誠に巧みな笛吹きで、主に印度の古調を、日本の竹から響き出させる事が出来た。

     四

 その後、ラ氏の感情は好い諦《あきら》めのために鎮められて、最早、人の前で、涙を見せるような事もなくなった。その替り、何かしら何時も人を冷いものに見ようとする傾向が、彼れの心の底で育ちかけているのも看過《みすご》しがたかった。
 悲しい事に、人は多くの場合、二つの極端の間を行き迷うものである。一つは温い感情、一つは冷い理性である。前者は自己の不幸に遭
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