ある。韋莊の※[#「麗+おおざと」、第3水準1−92−85]州遇寒食城外醉吟に好是隔簾花影動、女郎撩亂送鞦韆とあるのも、恐らくは鞦韆の繩を花さける枝にかけた光景を詠じたものであらう。もとこれ北人野外の樂であるとすれば、特に其爲めに柱を設くる事なく、天然の樹枝を其儘に利用して之に繩をさげるのは當然のことで、從て之を移して家庭でやる場合にも、それに則ると云ふことはあり得る筈だ。唐代のみならずそれより以後の時代に在りても、必しも柱を立てると限らなかつたことは、元以後の詩人の鞦韆詞によりても略ぼ察せられるが、然し野外だとて決して柱を立てなかつたと云ふのではない。況や之を院落玉砌に移し行ふに至りては、天然の樹枝を利用するよりも、特に柱を設ける方が却へりて普通であるべきで而かも風流を競ふ場合には、柱に繍を螺状に卷きつけ、繩も色どりたる絹を以てすることもあつた。周復俊の鞦韆咏には繍柱※[#「(火+火)/冖/糸」、第3水準1−90−16]紆會有縁と云ひ王建の詞には長長絲繩紫復碧とある。或はまた柱を塗り又は畫いたらしくもありて、明の蔡羽が鞦韆怨に丹楯朱干傍花砌とうたひ、同じく王問は金飾丹題綵作繩と吟じて
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