人寂寂、鞦韆院落夜沈々と云ひ、同じく弱耒の春睡の詩には、青杏園林花落盡、晩風吹雨濕鞦韆と云ひ、范成大の春日の詩には夕陽庭院鎖鞦韆と云ひ、僧斯植の一片月光涼似水、半扶花影上鞦韆と云ふが如き、擧げ來ればいづれも生々と動く氣分よりも、寧ろ誠に纎細な技巧の發露に止まつて居る。一事萬事とは行くまいけれど唐宋二朝の文化の差別は或は斯く些細な點にも行き渡りて居るのであるまいか。
 此鞦韆の戯は朝鮮にも入つて年中行事の一つとなつた。東國歳時記洌陽歳時記、及び京都雜志皆之を載せて居る。但し朝鮮では寒食ではなくして五月の端午に之を行ふを習とし、之に附隨して鮮衣美食相聚娯し、稱して元の風俗を移したものだと云つて居る。關西地方尤も盛なりとしてあるが、洌陽歳時記によると年少者は男女を擇ばず、此戯をやるものゝやうに記し、京都雜志には主として女子の遊として記してある。
 我邦に鞦韆の名の始めて見えるのは經國集第十一卷にある嵯峨太上天皇の鞦韆篇を以て第一とし、それには滋野貞主の和したものが添ひて居る。又倭名類聚抄にも鞦韆の名目が見え倭名由佐波利としてある。元來日本にゆさはりと云ふ遊戯があつて、それが鞦韆に相當する所か
前へ 次へ
全19ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
原 勝郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング