來ると云ふのは、此風流戯の一功徳となつて居る。美人が運動の爲め興奮し汗になる所なども、亦一の詩材をなすので、高無際の賦には香裾颯以牽空、珠汗集而光面とあり、薩都刺の謠には、衣上粉珠流不歇、暗解翠裾花下摺とある。其外に高く上る拍子に頭から釵のぬけ落ちるのを興がつた詩人もあつた。又一個の鞦韆に二人相對して戯をなしたことは高無際の詩に雙上雙下亂晴野之虹とあり蔡羽の詩に對對來尋花下繩、雙雙去作雲間戯とあるのでも明かだ。
時代を異にすると同じく鞦韆を詠じても、其行き方の異るといふことが、これ亦頗る面白いことだ。唐代の鞦韆の詩は、高無際や元※[#「禾+眞」、第3水準1−89−46][#「※[#「禾+眞」、第3水準1−89−46]」は底本では「槇」]、王建、周復俊、韋莊、韓※[#「にんべん+屋」、第4水準2−1−66]等上に引用した詩人の作多くは遊戯を動的に材料として採用して居るけれど、之に反し宋代の詩人が鞦韆を詠ずると、遊戯其物よりは、其運動機械及び之によりて象徴される感傷を歌ふをつねとする。蘇軾が寒食夜の詩には漏聲透入碧※[#「片+怱」、740−2]紗、人靜鞦韆影半斜と云ひ、春夜の詩に歌管樓臺
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