+當」、第4水準2−81−5]とあるに徴して知り得る。扨其運動のやり方はと云へば架上に坐して人に推引させるのもありとは云ふものゝ、王建の詩に傍人送上那足貴ともあれば、此が本式と云ふではなく、やはり自分で動かすべきで、而かも西洋のやうに腰を掛けてゞはなく、立ちてやる事になつて居る。高無際の鞦韆賦に叢嬌亂立以推進、一態嬋娟而上躋、乍龍伸而蠖屈、將欲上而復低とあり、王問の詩に一囘蹴※[#「足+(榻−木)」、第4水準2−89−44]一囘高とあるのは即ち之を證する。ひらめかす爲に腰から兩側に垂れる帶も坐するよりは立つた方が、一層有意義になる。隨分と高く上ることを力めたと見えて、如何に支那式とは云へ、詩人等は皆思ひ切りたる形容をして居る。高無際は一去一來、鬪舞空之花蝶、雙上雙下、亂晴野之虹と云ひ、王建は足蹈平地看始愁、と云ひ周復俊は弱力※[#「にんべん+疑」、第4水準2−3−3]攀青漢上、笑聲常寄白雲邊と云ひ又倒垂度影天山竹、仰睇澄光玉並蓮と云つて居る。されば後庭でやつても牆頭よりも高く上がるといふのは珍らしからぬ事で、而して叨りに姿を見せぬ美人が此鞦韆をなすによりて、牆外の人から之を見ることが出
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