夫一座の猿楽で、中にも児舞は最も興がられた。大黒衆の拍子というのもあった。観世太夫の弟で、遁世して宗観と称した者がまかり出でて、尺八、音曲、太鼓等を御聴に達したこともある。旧遊女で後尼となり真禅と号した女が、曲舞を演じたこともある。幸若《こうわか》の流を汲む越前の芸人が上洛して、二人舞というを御覧に入れたこともある。また昔からありきたった傀儡子《くぐつし》が、宮中でもって輪鼓、手鞠等を興行したこともある。曲舞《くせまい》の児の上手を叡感あらせられて、扇を賜わった時に、実隆が仰せによって古歌を認めて与えたこともある。これによって見ると、能狂言の少ない点だけが朝廷の好尚の武家と異るところで、その他にいたってはほとんど差別のなかったことがわかるだろう。日記文亀元年四月七日の条に、内裏の女中衆が今熊野の観進猿楽を見物に出かけたことを叙して、故大納言典侍の在世中は、後宮の取締りも厳重であったが、その後自由になり過ぎたと記しているけれど、外出はできなくとも、宮中にも相応の慰めがあったのである。
実隆が侍従として朝夕に禁闕に出入し、ますます眷顧に浴することが深くなるにつれて、時々の賜わり物も、他に
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