すぐれて多かったようである。毎年灰方の御料所からして年貢米が納まると一俵を実隆に賜わることがほとんど恒例のようになっており、実隆の方からは、年々の嘉例として六月に瓜を進上した。この瓜はその領地なる御牧からして持参するのであるが、延徳三年のごときは、この美豆御牧が水損で瓜もとれぬ。しかし嘉例である瓜を進上せぬも残念であるというので、人を京都中に走らし、瓜を求め出して献上した。ただしいつもならば親戚知者にも配るのであるけれど、この年はそれだけは見合わせたと日記に見えている。実隆はまた庭に葡萄《ぶどう》を植えたとみえて、延徳元年の八月にこれを始めて禁裏に献上しているが、ちょっとわからぬのは、庭の榎の樹を斫《き》って薪にした時に、三把を禁裏に進上していることである。薪三把の献上はいかにもおかしいが、これをも差し上げるくらいならば、けだしほかにもいろいろなものを献上しただろうと思われる。
かくのごとくしていやが上に濃く成り行く宮廷と実隆との間は、一は実隆の姻戚関係にも基いているのである。実隆の室家は前にも述べたとおり、勧修寺贈左大臣教秀の三女である。さればこの教秀が伝奏を勤めておったということ
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