階級の輩はどうであったかわからぬが、少なくともそのころの公家は二食であったらしく、すなわち朝食と夕食とのみで、昼食というものは認《したた》めなかったと見える。昼食に相当するものの喫せらるるのは、旅中の昼|駄餉《だしょう》くらいであったろう。しかしてその朝食の喫せらるるのは、たいてい朝の八時から九時にかけてのことで、今日における日本人の朝食に比すると、案外落ちつきてゆっくりと認めたものらしい。時としては朝食からして引き続き酒宴に移ることもある。先ずフランス人のデジネのようなものであったろうか。かかる朝食であるからして、客を招きてこれを振舞うということもおのずからあるので、中以下の公家の間におけるその招待のさまがすこぶるおもしろい。心安い客を朝飯によぶ時には、主人の方では汁のみを支度することが往々であって、その汁とても無論一種のことが多く、あるいは松蕈《まつたけ》汁とか、あるいは鯨汁とか、あるいは菜汁とか、つまり汁の実にすべき季節の物かもしくは遠来の珍味を得た時は、それだけでもって客をするのである。しからば肝心の飯はどうしたかというに、それは招かれた者どもの方で持ち寄るのである。招待した方
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