った話なのである。というのは、いかに兵乱が危険でも、常習性の者になると恐れてばかりはおられないからであって、次第に危険を軽蔑するようになり、遂にはいよいよ焦眉の急に切迫した場合は別として、さもない時には成るべく取越し苦労などをしないこととなるのである。この呼吸が呑み込めずしてはとうてい足利時代を会得することができない。
 大体上述のごとき京都市民の生活の中で、特に公卿はいかなる特別の生活をなしておったか、これがすなわち次に起こってくる問題である。ちょっと考えると王権式微の武家時代であるによって、公卿の窮乏もさぞかしはなはだしかったろうと想われるのは当然のことであって、実際生活難に苦しんだ公家もまた少なくない。皇室の供御《くご》も十分とはまいらなかった時代であるからして、公卿の困ったのはむしろ怪しむに足らぬことであろう。坊城和長がその日記中女子の生れた事を記したついでに、「女の多子なるは婦道に叶うといえども、貧計なきにおいてはもっとも、こいねがわざるか」とこぼしている。その他の公卿日記にも、秘計をやることがしばしば見えているが、秘計とは金策をするという義なのだ。先ず食物から述べると、他の
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