ど案外に平気なもので、時に際して相応に享楽をやっている。遊散にも出かければ、猿楽も見物した。加茂や祇園の例祭には桟敷もかかり、人出も多かった。兵乱や一揆のために焦土と化した町もあると同時に、その焼け跡に普請《ふしん》をして新宅を構うる者も続々あった。土御門内裏のごときも、焼亡の後久しからずして再建になった。将軍の柳営とても同断である。これが決して驚くに足らぬわけは、内裏の御料所や公卿将軍およびその他に納まるべき年貢は、一乱以後大いに減少したとはいうものの、全く納まらなくなったのではないからである。あるいは規則どおりに、あるいは不規則に、とにかくに年貢が続いて運ばれ、越後、関東、西国等から金米その他方物が京都に輸入され、また諸種の用件を帯びて遠国からわざわざ入洛する者絶えず、故に京都には一定の地方を限りてその入洛者に特に便宜を与える店舗も出来た。これらの旅人からのコボレや輸入などで京都の町はその繁昌を維持し、殊に三条、四条辺にはかなり大きな店が並んでおったらしい。乱世であるのにこの状態は、一見すると矛盾のはなはだしいものと考えられべきはずであるが、実はそうではなくして、かえりて道理にかな
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