からは飯を供せぬ。朝飯をもろくに食することのできぬ同族を招く時はこの限りにあらずである。かくのごとき飯の持ちよりというシミッタレた招待は、無論極く懇意の間に限られたのであろうけれど、それにしても飯米というものがいかに彼らの間にすこぶる貴重に考えられておったかが想像される。また二人以上の男子を持った親は、そのうちの一人を出家にすることは珍しくなかったのだが、これも一つには糊口《ここう》の都合からしてのことらしい。しからば女子をばいかに捌《さば》いたかというに、宮中や将軍家の奥向きに奉公するか、または同輩の家へ嫁にやることができれば、さらに不思議のないことであるが、都合によりては将軍の家臣たる武人に嫁せしめることもある。武人も人によりけりで、幕府の直参《じきさん》かもしくは大国の守護へでもくれてやることならば、これまた怪しむに足らぬことで、すでに鎌倉時代にもその例多くあることであるが、東山時代になると必ずしも直参と限らず、陪臣すなわちそれら直参の被官人にくれてやることをすらも厭《いと》わなかった。中には体面を保つためかは知れぬが一旦幕府直参の武士の養女分にして、それからさらに一段低い武人に
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