さてそれらの不便や危険等が相当の人々からいかに感受されたか、換言すればこれらの故障がいかなる程度まで交通を阻碍したかを論じてみよう。それについて第一に弁じなければならぬのは当時のいわゆる乱世なる状態が、いくばくの不安の念を起こさしめたかについてである。たんに不安といえば、大疾患もその一であるけれど、蚤の食うのもまた不安である。安逸と奉養とに事欠かぬ今日の人は、些細なる市井の出来事にも驚いて、はなはだしく不安を感じやすいのであるけれどもこの感じ方は、現今においてすら国によりて差等あるごとくに、同一国においては時代による差等があるに相違ない。予といえども、足利時代をもって人々が大いに楽観した時代だとは考えておらぬけれど、さりとて余は徳川時代の歴史家、およびその説を踏襲する今日の一部歴史家の考うるごとくに、足利時代殊に応仁以後において、都鄙の人心が戦乱のために朝夕|旦暮《たんぼ》恟々《きょうきょう》として何事も手につかず、すべて絶望の状態にあったとは信じ得ない。道路の不便と交通の危険とのために、ほとんど旅行を断念したものだとは想像し得ない。海外との交通が、いわゆる乱世になってからして、かえっ
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