ない。のみならず悲観論者は、群雄割拠になると、その群雄の各々の領内には数多の群盗が横行して、その秩序はいやが上に乱脈になると想像するらしいが、これが果して肯綮《こうけい》にあたった想像であろうか。もしこの想像が正鵠《せいこう》を得るものとすれば、ローマ帝国時代よりも、近世国家の樹立以後における欧洲の秩序が、一層紊乱しておらなければならぬ。はたしてそうであろうか。余の意見はこれと反対だ。群雄は国を盗む梟師《たける》である。鈎を盗む小賊が到る処に出没するよりも、彼らの若干を制馭する有力者すなわち群雄が現われて、割拠の形勢を成すということは、まさにより大なる統一を致さんとする前において、先ず小なる数個の統一をなすものであって、換言すれば集中作用の大いに発動しかける端緒である。余は群雄の崛起《くっき》をもってむしろ小盗の屏息を促すものだと考える。かく考えきたれば応仁以後の群雄割拠時代が、必ずしも藤原時代より無秩序で交通の危険が多かったと断言することがむつかしくなるではないか。
藤原時代と比較することをば、先ずこのくらいにしておこうが、次には足利時代に時代相当の交通の不便と危険とを認めた上に、
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