ならぬ。その時代の記録者が、あるいはこれをありがちのこととして特に書きしるすことをしなかったかも知れない。また時代が次第に降るにしたがって、群盗の記事の記録に多く見ゆるようになるのは、これを今まで少なかったものの増加したがためと解するよりも、かえりて社会の秩序が立ちかけて、擾乱者が目立ってきた、ないしは秩序を欲する念が、一般に盛んになってきたためと説明することもできよう。換言すればかかる記事の増加をもって、文明の進歩の表徴だと考え得ぬこともあるまい。なおその上に足利時代の方がかえりてそれ以前の時代よりも、群盗横行の害少なかったろうと思われる他の理由もある。群雄の割拠がすなわちそれである。
 群雄割拠の中央集権を妨げたのは、もとより極めて明白なことで、何人といえどもこれを否むものはあるまい。しかしながら藤原時代以前、すなわち群雄割拠のなかったと見なされる時代に、はたして、どれだけの中央集権の実があったろうか。中央政府の勢力が広く波及したようでも、その把握力が極めて脆弱《ぜいじゃく》なものでなかったろうか、中枢がただ一つであったということは、必ずしもその中枢の集中力の強大を意味するものでは 
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