に出没した。この点においては海陸ほとんど択ぶところがない。されば乱世のために陸路が往々|梗塞《こうそく》を免れなかったとしたところで、海というもののある以上、足利時代の交通がはなはだしく阻礙《そがい》されたと考えるのは、少しく早計ではあるまいか。いわんや陸上の危険においてすら、足利時代必ずしも藤原時代よりもはなはだしかったとは、にわかに断言し難いことを考えると、われわれは強いて足利時代における文明の伝播を否定するにも当らぬことになる。
 論者は往々にして足利時代殊に応仁以後の群雄割拠の状態から概論して、これを乱世だという。また群盗の横行に徴してこれを秩序|紊乱《びんらん》の時代だとする。足利時代はその太平|恬熈《てんき》の点において、むろん徳川時代に匹儔《ひっちゅう》し得べきものではないが、しかしはたして藤原時代よりも秩序がはなはだしく紊乱しておったであろうか。足利時代の記録によって、京洛の物騒なことを数え立てる人もあるかは知れぬが、京都はその実平安朝時代から物騒な所であったのではないか。かつずっと古い時代の記録に地方群盗の記事の少ないのは、必ずしもその事実上稀少であったという証拠とは
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