北陸、山陰、山陽の五道に進発するのには、国尽くしに挙げてあるような順序で国々を通り貫いたものと合点したがる。かように考えれば、なるほど東山時代に交通の障碍が到る処に横わり、いかに強い力のある文明でも伝播ができず、日本の大部分が暗黒に想像されるのも無理はない。しかしながらかく想像したのでは、大内家と京都との関係のごときはまったく説明のできぬことになる。船舶というものの広く用いられなかったその昔のことならばいざ知らず、いやしくも航海の相応に行なわれるようになった以後の時代においては、日本のような環海の国にあって、交通が専ら陸路にのみ便《たよ》るというわけのあろうはずがない、海に風浪の難があるというかも知れぬけれど、陸上にも天然の困難がないでもない。兵庫なるもののかつて用いられたことのない日本において、坦々たる大道の存在を足利時代以前に想像することは不可能であるからして、狭隘と峻険とは共にしばしば旅客の忍ばねばならぬ苦痛であったろう。また陸には覆没の憂いがないにしても、旅舎の設備の不完全は、海上の旅行者の嘗《な》めずにすむところの欠乏であった。海には海賊の禍があるとするも、陸上とても群盗所在 
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