きた。肖柏もまたおりおりこれに同伴した。聴手としては、主人公の実隆のほか、滋野井、姉小路等の諸公卿の来会することもあった。宗祇の見えぬ時には、肖柏がこれにかわって講釈をしたが、先ず三度に一度は肖柏の代講という有様であった。場所も三条西家のみならず、時には徳大寺家などへ宗祇を誘引し、そこで講釈せしめたこともある。一帖を講じおわると、慰労として饂飩《うどん》[#「饂飩」は底本では「飩饂」]くらいで献酬することもあり、あるいは余興として座頭を呼び、『平家』を語らすこともあった。かくて文明十八年六月の十八日に『源氏』の講義その功を終えたというので、その夕実隆はわざわざ宗祇の種玉庵に赴いて、だんだんの謝意を表したとのことである。
『源氏物語』の講義の始まっている間に、それよりも少しく遅れて、文明十七年六月の朔日から、同じく宗祇の『伊勢物語』の講釈が、実隆邸に開かれた。『源氏』の方は夕刻を期しての催しであったけれども、『伊勢物語』の講義の方は、朝に開かれたものらしい。されば同日の朝に『伊勢物語』の講釈を聞きて、その晩になると『源氏』の講義を聞くというようなこともないではなかった。その聴聞衆としては
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