に歿した記事の中にも見えるとおりであるのみならず、肖柏の名の日記に見えているのが、宗祇の名よりも早いところからして考えても、実隆は先ず肖柏を知り、しかるのち宗祇を知ったらしい。文明八年の八月十九日の条に、この晩肖柏が来て『源氏物語』「夢浮橋」の巻を書写してくれと懇望したとある。あるいは肖柏の手引きによって、実隆は宗祇と近づきになったのかとも思われる。宗祇に関する記事の始めて日記に出ているのは、文明九年七月宗祇の草庵において『源氏』第二巻の講釈があって、実隆が連日これを聴聞した記事である。こののち文明十七年まで宗祇から『源氏』の講釈を聞く話はない。日記にも闕漏はあるが。それのみならず宗祇がその地方遊歴のために、講義を開く折がなかったからでもあろう。文明十七年の閏三月の下旬、五十四帖書写の功成ったというので、その晩宗祇と肖柏とが、実隆の邸に来り、歌道の清談に耽りつつ、暮れ行く春を惜んだとのことである。この写本が出来てからして、『源氏』の講釈はまた開講せられたが、このたびは宗祇の種玉庵においてではなく、実隆の邸において催されたのである。宗祇は宗観、宗作、または玄清等の同宿をかわるがわる連れて
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