、中御門黄門、滋前相公、双蘭、藤、武衛、上乗院、および肖柏等であったと見える。『伊勢物語』は同じく古典であっても、『源氏』などとは異なり、肩のあまり凝らぬ物語であるから宗祇も腕によりをかけ、『源氏』の場合とは違った手加減で語巧みに縦横自在の講釈をなしたらしい。したがって『源氏』の講釈にない面白味もあったらしく、実隆はその日記に、「言談の趣き、もっとも神妙神妙」と記している。『伊勢物語』は『源氏』のごとく浩翰なものでないので、わずか七回でもって、その全部を同月二十一日までに講了した。そこで実隆は檀紙《だんし》十帖、布一段を謝礼として種玉庵[#「種玉庵」は底本では「種庵玉」]に遣わした[#「遣わした」は底本では「遺わした」]けれども、宗祇はかたく辞してこれを返送したとのことである。
 宗祇の『伊勢物語』の講義は、よほど面白いものであったと見え、その証拠には伏見宮家からも実隆を経てしきりに所望せられた。宗祇は少々渋ったのであるけれども、実隆の切なる勧め辞し難く、ついに宮家に参入して講義をすることにしたのは、それは文明十九年閏十一月のことであった。しかしてその翌すなわち長享二年の四月には江州の
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