vい出せない位に、びっくりしたりしている、即製の猟人たちの間抜けさ加減! 一日じゅうの獲物といったら、たった頬白《ほおじろ》が一羽。……
 その翌日、英夫君は二時の汽車で帰るというので、昼飯を早目にすませてから、お別れに村の西のはずれの、分去《わかされ》のところまでぶらっと散歩に行った。馬頭観音《ばとうかんのん》やなんかはまだ雪の中にしょんぼりとしている。二人でその傍に佇《たたず》んで、しばらく浅間山の方を眺めていると不意に思いがけなく私達の頭上を、一羽の青味を帯びた大きな鳥が翼を水平に拡げたまんま、すうと低目に飛び過ぎた。やあ、雉子だ、雉子だ、と私達が言い合う暇もないうちに、街道の向うの小さな松林の中に、突然よろめくようになって、その雉子は下りて行った。いそいで私達もその林の中へ躍り込んで見ると、もう飛ぶ力のなくなっているらしいその雉子は、難なく英夫君の手で生捕《いけど》りにされた。
 何処も怪我はしていないようだが、大方鉄砲打ちに翼でもやられて、やっとここまで山の中から逃げて来たのかも知れない。雄だから、綺麗な尻尾《しっぽ》をしていた。空気銃でも持ってきていたら、それで射とめたのだと宿に持ち帰って威張れようが、あいにく手ぶらなので、へんな恰好で、そのままそれをぶらさげて帰った。
 英夫君に東京へお土産《みやげ》にしたまえと勧めたが、帰るのはもう一日延ばして、こっちでそれを皆と一緒に食べて行きたいと云って聞かなかった。
 雉子はまだ辛うじて生きている。それを不自然な殺し方はしたくないので、宿の老犬ジャックを連れて、裏の林へ行って、その雉子を放したら、昔猟犬だったジャックはその逃げようとする雉子を巧みに追い廻しながら、要領よく噛み殺し、羽だらけになった口に銜《くわ》えたまま、それを私達のところへ持って来てくれた。
 雉子は悪食《あくじき》だから、肉が臭いと聞いていたが、鍋にしてもそれほどいやな臭いはしなかった。が、なんだかすこし無気味で、あんまりうまいとも思わなかった。
[#改ページ]


   続雉子日記


 英夫君が帰京してから、こんどは私は一人で毎日のように空気銃を手にして、ジャックを連れては、殆ど二三日おきぐらいに降るのでますます雪の深くなった森の中を愉快そうに歩きまわっていたが、少しその度が過ぎたと見え、とうとう十日ほど前から風邪《かぜ》を引いて、いくじなく寝込んでいるていたらくである。枕もとにはお義理のように横文字の本を堆高《うずたか》く積んであるが、見ているのは大抵例の「スゥイス日記」か、ベデカアのスゥイス案内書位なものである。
 この前の日記に、私はリルケが晩年住まっていたシャトオ・ド・ミュゾオのある村をラロンと書いて澄ましていたが、実はラロンはリルケの墓のある村の名で、同じヴァレェ州の同じロオヌの川沿いながら、ミュゾオのあるのはそれより少し下流に位している、シェルという小さな町から更に上方へ入った、葡萄畑なんぞの真ん中らしい。そしてそのミュゾオもシャトオとはほんの名ばかり、むしろ十三世紀頃に出来た小さな塔のようなものであるらしい。
 一九二一年の秋のことである。それまでスゥイス中を転々としながら、長い間中絶されている「ドゥイノ悲歌」を再び続けるべく、そのために外界と遮絶《しゃぜつ》して、全く一人きりになっていられるような隠れ場所を捜しあぐねていたリルケは、遂に伊太利《イタリア》との国境にもはや近いヴァレェ州にやって来て、その何処《どこ》かプロヴァンスや、また西班牙《スペイン》の或る物をさえ思わせるような一帯の風物を一目見るや、此処《ここ》こそ自分の求めている場所と信じて、その町の一つのシェルに暫く滞在し、附近を捜しまわったがそれも空《むな》しく、とうとうその町をも立ち去ろうとする間際になって、偶然或る飾窓に売物に出ている一つの塔の写真を認めた。それは彼の或る友人の寝台の上の壁に以前から掛っていた絵の中の古い館《やかた》だった。そしてそれがミュゾオだったのである。それを彼はその同じ友人の世話によって漸く手に入れることが出来た。  

      *

「恐ろしい山々の荒漠たる風物の中に全く孤立せる小さな館。……私はこれまでかかる孤独な存在、かかる沈黙との極度の親密を想像だに出来なかった。親愛なるリルケよ、あなたは純粋時間の中に閉じ籠《こも》っているように私に思えた……」と、その頃|其処《そこ》を訪れたポオル・ヴァレリイは書いている。
 翌年の二月である。十年前の、一九一二年ドゥイノにて着手せられ、一九一四年以来殆ど全く中絶していた「ドゥイノ悲歌」は遂にそのシャトオ・ド・ミュゾオにおいて完成せられた。しかもそれは僅か二三日で出来上ったのである。
 それを書き上げた夜半、リルケはもうペンを握る力もない位に疲労しな
前へ 次へ
全5ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
堀 辰雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング