慰めるように、
「あなた様もどうして此の儘でいつまでも居られましょう」と言いだした。「こんなことはわたくしとしては申し上げ悪《にく》いことですけれど、いまわたくしの所に近江からいささか由縁《ゆかり》のありますものの御子息が上京せられて来ておられますが、そのものがあなた様のお身の上を知って、ぜひとも国へお伴れしたいと熱心にお言いになって居りますけれど、いかがでございましょうか、一そそのもののお言葉に従いましては。此の儘こうして入らっしゃいますよりは、少しはましかと存じますが。」
 女はそれには何にも返事をしないで、空しい目を上げて、ときおり風に乱れている花薄《はなすすき》の上にちぎれちぎれに漂っている雲のたたずまいを何か気にするように眺めやっていたが、急に「そうだ、わたくしはもうあの方には逢われないのだ」とそんなあらぬ思いを誘われて、突然そこに俯伏《うつぶ》してしまった。
 夜なかなどに、ときおり郡司の息子が弓などを手にして、女の住んでいる対《たい》の屋《や》のあたりを犬などに吠《ほ》えられながら何時までもさまようようになったのは、そんな事があってからのことだった。夜もすがら、木がらしが
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