ったトルストイ全集だの、ジャック・シャルドンヌの「祝婚歌《エビタラアム》」や「クレエル」などを積み重ねて、一方、大いに結婚生活者の心理研究もしようという感心な心がけさ。……当分、そんな二種類の自分が、私の裡《うち》でお互いに勝手悪そうに同居しているだろうが、それはまあ仕方があるまい。慾を云えば、かえっていつまでもこうしたままの通りでいてくれた方が自分には何だか面白そうだ。
こんな手紙を君に書きながら、私がいま思い出しているのは、二三日前にも読み返したリルケが「マルテの手記」の中でフランシス・ジャムらしい詩人のことを書いている一節だ。――「ああそれは何という幸福な運命であろう。先祖代々の家の、物静かな部屋に坐って、家付きの落ちついた家具に取囲まれながら、まぶしいほどの新緑の庭で山雀《やまがら》が啼きかわしたり、又、遠くの方で村の時計の鳴るのを聞いたりしているのは。そうやって坐って、午後の温かな日ざしを眺めながら、昔の少女たちの話を沢山知っていて、そしてしかも詩人であるというのは。そうして自分だって、もし何処《どこ》かに――この世の何処か、誰ももう行っても見ないような閉ざされた田舎家の一
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