してさ迷いながら、あちこちの灌木の枝には注意さえすれば無数の莟《つぼみ》が認められ、それ等はやがて咲《さ》き出すだろうが、しかしそれ等は真夏の季節《シイズン》の来ない前に散ってしまうような種類の花ばかりなので、それ等の咲き揃《そろ》うのを楽しむのは私|一人《ひとり》だけであろうと言う想像なんかをしていると、それはこんな淋《さび》しい田舎暮《いなかぐら》しのような高価な犠牲《ぎせい》を払《はら》うだけの値《あたい》は十分にあると言っていいほどな、人知れぬ悦楽《えつらく》のように思われてくるのだった。そうして私はいつしか「田園交響曲《でんえんこうきょうきょく》」の第一楽章が人々に与える快《こころよ》い感動に似たもので心を一ぱいにさせていた。そうして都会にいた頃《ころ》の私はあんまり自分のぼんやりした不幸を誇張《こちょう》し過ぎて考えていたのではないかと疑い出したほどだった。こんなことなら何もあんなにまで苦しまなくともよかったのだと私は思いもした。そうして最近私を苦しめていた恋愛《れんあい》事件をそっくりそのままに書いてみたら、その苦しみそのものにも気に入るだろうし、私にはまだよく解《わか》らずにいる相手の気持もいくらか明瞭《はっきり》しはしないかと思って、却《かえ》ってそういう私自身の不幸をあてにして仕事をしに来た私は、ために困惑《こんわく》したほどであった。私はてんでもうそんなものを取り上げてみようという気持すらなくなってしまったのだ。で、私は仕事の方はそのまま打棄《うっちゃ》らかして、毎日のように散歩ばかりしていた。そうして私は私の散歩区域を日毎《ひごと》に拡げて行った。
或る日私がそんな散歩から帰って釆ると、庭掃除《にわそうじ》をしていた宿の爺《じい》やに呼び止められた。
「細木さんはいつ頃こちらへお見えになります?」
「さあ、僕《ぼく》、知らないけれど……」
それは私が何日頃この地を出発するかを聞いたのと同じことであるのに爺やは気づきようがなかったのだ。
「去年お帰りになるとき」と爺やは思い出したように言った。「庭へ羊歯《しだ》を植えて置くようにと言われたんですが、何処へ植えろとおっしゃったんだか、すっかり忘れてしまいましたもんで……」
「羊歯をね」私は鸚鵡《おうむ》がえしに言った。それから私は例の白い柵《さく》に取り囲まれたヴィラを頭に浮べながら、「あの白い柵はいつ出来たの?」と訊《き》いた。
「あれですか……あれは一昨年でした」
「一昨年ね……」
私はそれっきり黙《だま》っていた。爺やのいじくっている植木の一つへ目をやりながら。それからやっとそれに白い花らしいものの咲いているのに気がつきながら訊いた。
「それは何の花だい?」
「これはシャクナゲです」
「シャクナゲ? ふうん、そう言えば、じいやさん、このへんの野薔薇《のばら》はいつごろ咲くの?」
「今月の末から、まあ、来月の初めにかけてでしょうな」
「そうかい、まだ大ぶあるんだね。――一体、どのへんが多いんだい?」
「さあ……あのレエノルズさんの病院の向うなんか……」
「ああ、じゃ、あそこかな、あの絵葉書にあった奴《やつ》は。……」
その翌朝は、霧《きり》がひどく巻いていた。私はレエンコートをひっかけて、まだ釘づけにされている教会の前を通り、その裏の橡《とち》の林の中を横切って行った。その林を突き抜けると、道は大きく曲りながら一つの小さな流れに沿うて行った。しかしその朝はその流れは霧のためにちっとも見えなかった。そしてただ、せせらぎの音ばかりが絶えず聞えていた。私はやがて小さな木橋を渡った。それからその土手道《どてみち》は、こんどは今までとは反対の側を、その流れに沿うて行くのであった。さて、その土手道へ差しかかろうとした途端、私はふと立ち止まった。私の行く手に何者かが異様な恰好《かっこう》でうずくまっているのが仄見《ほのみ》えたので。その異様なものは、霧のなかで私自身から円光のように発しているかに見える、私を中心にして描いた円状の薄明《うすあか》りの、丁度その円周の上にうずくまっているのだった。しかし霧は絶えず流れているので、或《あ》る時は一層|濃《こ》いのが来てその人影《ひとかげ》をほとんど見えなくさせるが、やがてそれが薄らいで行くにつれてその人影も次第にはっきりしてくる。漸っとそれが蝙蝠傘《こうもりがさ》の下で、或る小さな灌木《かんぼく》の上に気づかわしげに身を跼《こご》めている、西洋人らしいことが私には分かり出した。もっと霧が薄らいだとき、私はその人の見まもっているのが私の見たいと思っていた野薔薇の木らしいことまで分かった。向うでは私のことに気づかないらしかった。そのため、誰《だれ》にも見られていないと信じながら何かに夢中になっている時、ややもすると、あとでそれを思い出そうとしても思い出せないような変にむつかしい姿勢をしていることがあるものだが、私の行く手を塞《ふさ》いでいるその人も恐《おそ》らくそんな時の姿勢をしているのにちがいなかった。……気がついて見ると私のすぐ傍《かたわ》らにもあった野薔薇の木を、それが私の見たいと思っている野薔薇の木のほんのデッサンでしかないように見やりながら、私はそのままじっと佇《たたず》んでいた。――やっとその人影は身を起し、蝙蝠傘をちょっと持ちかえてから歩き出した。そうしてずんずん霧のなかに暈《ぼや》けて行った。
私も歩き出しながら、やっとその野薔薇の小さな茂《しげ》みの前に達した。そうして今しがたその人のしていたような難《むつか》しい姿勢を真似《まね》ながら、その上に身を跼《こご》めてみた。そうすればその人の心の状態までが見透《みす》かされでもするかのように。その小さな茂みはまだ硬《かた》い小さな莟《つぼみ》を一ぱいにつけながら、何か私に訴《うった》えでもしたいような眼つきで私を見上げた。私は知らず識《し》らずの裡《うち》にそれらの莟を根気よく数えたり、そっと持ち上げてみたりしている自分自身に気がついた。ふとさっきの人のしていた異様な手つきがまざまざと蘇《よみがえ》った。そうしてその小さな茂みがマイ・ミクスチュアらしい香《かお》りを漂《ただよ》わせているのに気がついたのもそれと殆《ほと》んど同時だった。湿《しめ》った空気のために何時《いつ》までもそのこんがらかった枝にからみついて消えずにいるその香りは、まるでその小さな茂みそのものから発せられているかのように思われた。
――私はいつもパイプを口から離《はな》したことのないレエノルズさんのことを思い出した。そして今の人影はその老医師にちがいないと思った。そう言えば、さっきから向うの方に霧のために見えたり隠《かく》れたりしている赤茶けたものは、そのサナトリウムの建物らしかった。
私は再び霧のなかの道を、神々《こうごう》しいような薄光りに包まれながら、いくら歩いてもちっとも自分の体が進まないようなもどかしさを感じながら、あてもなく歩き続ていた。私の心はさっき霧の中から私を訴えるような眼つきで見上げた野薔薇のことで一杯《いっぱい》になっていた。私はそれらの白い小さな花を私の詩のためにさんざん使って置きながら、今日までその本物をろくすっぽ見もしなかったけれど、今度こそ、私もそれらの花に対して私のありったけの誠実を示すことの出来る機会の来つつあることを心から喜んでいた。そしてそのための私の歓《よろこ》ばしさと言ったら、昔《むかし》の詩人等が野薔薇のために歌った詩句を、口ずさむなんと言うのではなく、それを知っているだけ残らず大きな声で呶鳴《どな》り散らしたいような衝動《しょうどう》にまで、私を駈《か》り立てるのであった。
※[#アステリズム、1−12−94]
私の書こうとしていた小説の主題は、漸《ようや》くその日その日を楽しむことが出来るようになったこんな田舎暮《いなかぐら》しの中では、いよいよ無意味なものに思われて来た。それに、そんなものを書くことは、自分で自分を一層どうしようもない破目《はめ》に陥《おと》し入れるようなものであることにも気がついたのだ。「アドルフ」の例が考えられた。ああいうものにまで私は自分の小さな出来事を引き揚《あ》げたかったのだ。弱気でしかも自我《じが》の強いために自分自身も不幸になり、他人をも不幸にさせたところのアドルフの運命は又《また》、私の運命さながらに思えたからだ。しかし、「アドルフ」の作者ほど、そういう弱々しい性格(恐らくそれは彼自身のであろうけれど)に対するはげしい憎悪《ぞうお》も持っていない、むしろそういう自分自身を甘《あま》やかすことしか出来そうもない私がそんな小説の真似なんかしようものなら、それによって更《さら》にもう一層自分自身をも、又他人をも不幸にするばかりであることが、わかり過ぎるくらい私にはわかって来たのだ。……こういうような考え方は、私の暗い半身にはすこし気に入らないようだったけれども、この頃のこんな田舎暮しのお蔭《かげ》で、そう言った私の暗い半身は、もう一方の私の明るい半身に徐々《じょじょ》に打負かされて行きつつあったのだ。
そうして今の私がそれならば書いてもみたいと思うものは、たとえどんなに平凡《へいぼん》なものでもいいから、これから私の暮らそうとしているようなこんな季節はずれの田舎の、人っ子ひとりいない、しかし花だらけの額縁《がくぶち》の中へすっぽりと嵌《は》まり込むような、古い絵のような物語であった。私は何とかしてそんな言わば牧歌的なもの[#「牧歌的なもの」に傍点]が書きたかった。私はこれまでも他人の書いたそういう作品を随分《ずいぶん》好きでもあり、そういう出来事に出遇《であ》ったということでその人を羨《うらや》ましくも思って来たが、私自身でそう言うものを書いてみようとも、又、書けそうにも思えなかった。が、それだけ一層、今の私はそういう牧歌的なもの[#「牧歌的なもの」に傍点]を書いてみたいと思い立ったのである。――私はしかし、それを書くためには、いま自分の暮らしつつあるこの村を背景にするよりほかはなく、と言って一月《ひとつき》や二月ぐらいの滞在中にそういう出来事が果して私の身辺に起り得《う》るものかどうか疑わしかった。莫迦莫迦《ばかばか》しいことだが、私は何度も林の中の空地で無駄《むだ》に待ち伏《ぶ》せたものだった。男の子のように美しい田舎の娘がその林の中からひょっこり私の前に飛び出して来はしないかと。……そんな空《むな》しい努力の後、やっと私の頭に浮《うか》んだのは、あのお天狗《てんぐ》様のいる丘《おか》のほとんど頂近くにある、あの見棄《みす》てられた、古いヴィラであった。あのヴィラを背景にして、そこに毎夏を暮らしていた二人の老嬢《ろうじょう》のいかにも心もとなげな存在を自分の空想で補いながら書いて行く――それなら何んだか自分にもちょっと書けそうな気がした。この間その家の荒廃《こうはい》した庭のなかへ這入《はい》り込《こ》んで其処《そこ》から一時間ばかり眺《なが》めていた高原の美しい鳥瞰図《ちょうかんず》だの、一かどのニイチェアンだった学生の時分からうろおぼえに覚えていた zweisam という、いかにもその老嬢たちに似つかわしいドイツ語だのを、ひょっくりと思い浮べながら……。
或る夕方、私は再びそのヴィラまで枯葉《かれは》に埋《うず》まった山径《やまみち》を上って行った。庭の木戸は私がそうして置いたままに半ば開かれていた。私の捨てた煙草《たばこ》の吸殻《すいがら》がヴェランダの床《ゆか》に汚点《しみ》のように落ちていた。私は日の暮れるまで、其処から林だの、赤い屋根だの、丘だの、それから真正面に聳《そび》えている「巨人《きょじん》の椅子《いす》」だのを、一々暗記してしまうほど熱心に見つめていた。……ときどき、こんな夕暮れ時に、二人のうちの私のよく覚えている方の神々しいような白髪《はくはつ》の老婦人が、このヴェランダの、そう、丁度私の坐《すわ》っているこの場所に腰《こし》を下ろしたま
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