別がつかない位にまでなってしまっているこの庭も、その頃は、もっと庭らしく小綺麗になっていたことを、漸《ようや》く私は思い出したのである。そうしてつい今しがたの私の奇妙な錯覚は、その時から既《すで》に経過してしまった数年の間、若《も》しそれがそのままに打棄《うっちゃ》られてあったならば、恐らくはこんな具合《ぐあい》にもなっているであろうに……という私の感じの方が、その当時の記憶が私に蘇るよりも先きに、私に到着したからにちがいなかった。しかし、私のそういう性急《せっかち》な印象が必ずしも贋《にせ》ではなかったことを、まるでそれ自身裏書きでもするかのように、私のまわりには、この庭を一面に掩《おお》うて草木が生い茂るがままに生い茂っているのであった。
 そこのヴェランダにはじめて立った私は、錯雑した樅《もみ》の枝を透して、すぐ自分の眼下に、高原全帯が大きな円を描《えが》きながら、そしてここかしこに赤い屋根だの草屋根だのを散らばらせながら、横《よこた》わっているのを見下ろすことが出来た。そうしてその高原の尽《つ》きるあたりから、又《また》、他のいくつもの丘が私に直面しながら緩《ゆる》やかに起伏《きふく》していた。それらの丘のさらに向うには、遠くの中央アルプスらしい山脈が青空に幽《かす》かに爪《つめ》でつけたような線を引いていた。そしてそれが私のきざきざな地平線をなしているのだった。
 夏|毎《ごと》にこの高原に来ていた数年前のこと、これと殆どそっくりな眺望《ちょうぼう》を楽しむために、私は屡《しばしば》、ここからもう少し上方にあるお天狗様まで登りに来たのだけれど、その度《たび》毎に、この最後の家の前を通り過ぎながら、そこに毎夏のようにいつも同じ二人の老嬢《ろうじょう》が住まっているのを何んとなく気づかわしげに見やっては、その二人暮らしに私はひそかに心をそそられたものだった。――だが、あれはひょっとすると私自身の悲しみを通してばかり見ていたせいかも知れないぞ?(と私は考えるのだった。)何故って、私がこの丘へ登りに来た時は、いつも私に何か悲しいことがあって、それを肉体の疲労《ひろう》と取り換《か》えたいためだったからな。真白《まっしろ》な名札《なふだ》が立って、それには MISS のついた苗字《みょうじ》が二つ書いてあったっけ。……そう、その一方が確か MISS SEYMORE という名前だったのを私は今でも覚えている。が、もう一方のは忘れた。そうしてその老嬢たちそのものも、その一方だけは、あの銀色の毛髪《もうはつ》をして、何となく子供子供した顔をしていた方だけは、今でも私の眼にはっきりと浮《うか》んでくるけれど、もう一方のはどうしても思い出せない。昔から自分の気に入った型《タイプ》の人物にしか関心しようとしない自分の習癖《しゅうへき》が、(この頃ではどうもそれが自分の作家としての大きな才能の欠陥《けっかん》のように思われてならないのだけれど、)この老嬢たちにも知《し》らず識《し》らずの裡《うち》に働いていたものと見える。
 ……この数年間というもの、この高原、この私の少年時の幸福な思い出と言えばその殆んど全部が此処《ここ》に結びつけられているような高原から、私を引き離していた私の孤独《こどく》な病院生活、その間に起ったさまざまな出来事、忘れがたい人々との心にもない別離《べつり》、その間の私の完全な無為《むい》。……そして、その長い間|放擲《ほうてき》していた私の仕事を再び取り上げるために、一人きりにはなりたいし、そうかと言ってあんまり知らない田舎《いなか》へなぞ行ったら淋しくてしようがあるまいからと言った、例の私の不決断な性分《しょうぶん》から、この土地ならそのすべてのものが私にさまざまな思い出を語ってくれるだろうし、そして今時分ならまだ誰にも知った人には会わないだろうしと思って、こんな季節はずれの六月の月を選んで、この高原へわざわざ私はやって来たのであった。が、数日前にこの土地へ到着してから私の見聞きする、あたかも私のそういう長い不在を具象《ぐしょう》するような、この高原に於《お》けるさまざまな思いがけない変化、それにつけても今更《いまさら》のように蘇って来る、この土地ではじめて知り合いになった或る女友達との最近の悲しい別離。……
 そんな物思いに耽《ふけ》りながら、私はぼんやり煙草《たばこ》を吹かしたまま、ほとんど私の真正面の丘の上に聳《そび》えている、西洋人が「巨人《きょじん》の椅子《いす》」という綽名《あだな》をつけているところの大きな岩、それだけがあらゆる風化作用から逃《のが》れて昔からそっくりそのままに残っているかに見える、どっしりと落着いた岩を、いつまでも見まもっていた。
 私はやがて再び枯葉《かれは》をガサガサと音させながら、山径を村の方へと下りて行った。その山径に沿うて、落葉松《からまつ》などの間にちらほらと見える幾《いく》つかのバンガロオも大概はまだ同じような紅殻板《べにがらいた》を釘づけにされたままだった。ときおり人夫等がその庭の中で草むしりをしていた。彼等《かれら》の中には熊手《くまで》を動かしていた手を休めて私の方を胡散臭《うさんくさ》そうに見送る者もあった。私はそういう気づまりな視線から逃れるために何度も道もないようなところへ踏《ふ》み込んだ。しかしそれは昔私の大好きだった水車場のほとりを目ざして進んでいた私の方向をどうにかこうにか誤らせないでいた。しかし其処《そこ》まで出ることは出られたが、数年前まで其処にごとごとと音立てながら廻《まわ》っていた古い水車はもう跡方《あとかた》もなくなっていた。それよりももっと悲しい気持になって私の見出《みいだ》したのは、その水車場近くの落葉松を背にした一つのヴィラだった。私の屡しば訪《おとず》れたところのそのヴィラは、数年前に最後に私の見た時とはすっかり打って変っていた。以前はただ小さな灌木《かんぼく》の茂みで無雑作《むぞうさ》に縁《ふち》どられていたその庭園は、今は白い柵できちんと区限《くぎ》られていた。私はふと何故《なぜ》だか分らずにその滑《なめ》らかそうな柵をいじくろうとして手をさし伸《の》べたが、それにはちょっと触《ふ》れただけであった。そのとき私の帽子の上になんだか雨滴のようなものがぽたりと落ちて来たから。そこでその宙に浮いた手を私はそのまま帽子の上に持って行った。それは小さな桜《さくら》の実であった。私がひょいと頭を持ち上げた途端に、そこには、丁度私の頭上に枝《えだ》を大きく拡《ひろ》げながら、それがあんまり高いので却《かえ》って私に気づかれずにいた、それだけが私にとっては昔|馴染《なじみ》の桜の老樹が見上げられた。
 やがて向うの灌木の中から背の高い若い外国婦人が乳母車《うばぐるま》を押しながら私の方へ近づいて来るのを私は認めた。私はちっともその人に見覚えがないように思った。私がその道ばたの大きな桜の木に身を寄せて道をあけていると、乳母車の中から亜麻色《あまいろ》の毛髪をした女の児《こ》が私の顔を見てにっこりとした。私もつい釣《つ》り込まれて、にっこりとした。が、乳母車を押していたその若い母は私の方へは見向きもしないで、私の前を通り過ぎて行った。それを見送っているうち、ふとその鋭《するど》い横顔から何んだか自分も見たことがあるらしいその女の若い娘《むすめ》だった頃の面影《おもかげ》が透《す》かしのように浮んで来そうになった。
 私はその白い柵のあるヴィラを離れた。私の帽子の上に不意に落ちて来た桜の実が私のうちに形づくり、拡げかけていた悲しい感情の波紋《はもん》を、今しがたの気づまりな出会《であい》がすっかり掻《か》き乱してしまったのを好い機会にして。
 私は村はずれの宿屋に帰って来た。私がその宿屋に滞在《たいざい》する度にいつも私にあてがわれる離れの一室。同じように黒ずんだ壁《かべ》、同じような窓枠《まどわく》、その古い額縁《がくぶち》の中にはいって来る同じような庭、同じような植込み、……ただそれらの植込みに私の知っている花や私の知らない花が簇《むら》がり咲いているのが私には見馴《みな》れなかった。それはそれでまた私を侘《わ》びしがらせた。母屋《おもや》の藤棚《ふじだな》から、風の吹くごとに私のところまでその花の匂《におい》がして来た。その藤棚の下では村の子供たちが輪になって遊んでいた。私はその子供たちの中に昔よく遊んでやったことのある宿屋の子供がいるのを認めた。そのうちに他《ほか》の子供たちは去った。そしてその子供だけがまだ地面に跼《こご》んだまま一人で何かして遊んでいた。私はその子の名前を呼んだ。その子はしかし私の方を振《ふ》り向こうともしなかった。それほど自分の遊びに夢中《むちゅう》になっているように見えた。私がもう一度その名前を呼ぶと、やっとその子はうす汚《よご》れた顔を上げながら私に言った。「太郎ちゃんは何処《どこ》にいるか知らないよ」――私はその時初めてその小さな子供は私の呼んだ男の子の弟であるのに気がついたのだ。しかし何という同じような顔、同じような眼差《まなざし》、同じような声。……暫《しば》らくしてから「次郎! 次郎!」と呼びながら、一人の、ずっと大きな、見知らない男の子が庭へ這入《はい》って来るのを私は見た。ようやく私になついて私の方へ近づいて来そうになったその小さな弟は、それを聞くと急いでその方へ駈《か》けて行ってしまった。私の方では、その大きな見知らないような男の子が昔私と遊んだことのある子供であるのを漸《や》っと認め出していた。しかし、その生意気ざかりの男の子は小さな弟を連れ去りながら、私の方をば振り向こうともしなかった。

     ※[#アステリズム、1−12−94]

 私は毎日のように、そのどんな隅々《すみずみ》までもよく知っている筈《はず》だった村のさまざまな方へ散歩をしに行った。しかし何処へ行っても、何物かが附加《つけくわ》えられ、何物かが欠けているように私には見えた。その癖《くせ》、どの道の上でも、私の見たことのない新しい別荘の蔭《かげ》に、一むれの灌木が、私の忘れていた少年時の一部分のように、私を待ち伏《ぶ》せていた。そうしてそれらの一むれの灌木そっくりにこんがらかったまま、それらの少年時の愉《たの》しい思い出も、悲しい思い出も私に蘇って来るのだった。私はそれらの思い出に、或《あるい》は胸をしめつけられたり、或は胸をふくらませたりしながら歩いていた。私は突然《とつぜん》立ち止まる。自分があんまり村の遠くまで来すぎてしまっているのに気がついて。――そんなみちみち私の出遇《であ》うのは、ごく稀《まれ》には散歩中の西洋人たちもいたが、大概《たいがい》、枯枝を背負《せお》ってくる老人だとか蕨《わらび》とりの帰りらしい籃《かご》を腕《うで》にぶらさげた娘たちばかりだった。それ等のものはしかし、私にとってはその村の風景のなかに完全に雑《まじ》り込んで見えるので、少しも私のそういう思い出を邪魔《じゃま》しなかった。もっとも時たま、或る時は私があんまり子供らしい思い出し笑いをしているのを見て、すれちがいざまいきなり私に声をかけて私を愕《おどろ》かせたり、又或る時は向うから私に微笑《ほほえ》みかけようとして私の悲しげな顔を見てそれを途中で止《や》めてしまうようなこともあるにはあったが……。
 そんな風に思い出に導かれるままに、村をそんな遠くの方まで知らず識《し》らず歩いて来てしまった私は、今更のように自分も健康になったものだなあ、と思った。私はそういう長い散歩によって一層生き生きした呼吸をしている自分自身を見出した。それにこの土地に滞在してからまだ一週間かそこいらにしかならないけれど、この高原の初夏の気候が早くも私の肉体の上にも精神の上にも或る影響《えいきょう》を与《あた》え出していることは否《いな》めなかった。夏はもう何処にでも見つけられるが、それでいてまだ何処という的《あて》もないでいると言ったような自然の中を、こう
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