の心の状態のせいだったかも知れないが、その奥には何かしら神秘的なものがあるように思えてならなかった。その峠も、いまは何物をも燃やさずにはおかないような夏の光線を全身に浴びながら、何んだか炎《ほのお》のようにゆらめいているような感じで、私たちに迫《せま》っていた。……
彼女は、その燃ゆるような山なみを、サナトリウムの赤い屋根を前景に配置しながら、描いてみたいと言った。そしてそれを適当な角度から描くために、そんなはげしい光線の直射するのにも無頓著《むとんじゃく》のように、その空地のやや小高いところを選ぶと、三脚台《さんきゃくだい》を据《す》えて、その上へ腰かけ、斜《なな》めにかぶった運動帽の下からときどきまぶしそうな顔を持ち上げながら、その下図をとりだした。……私は彼女の仕事の邪魔《じゃま》にならないように、いつものように彼女を其処に一人きり残しながら、再びさっきの土手に出て、やや大きなアカシアの木蔭《こかげ》を選んで、そこに腰を下ろしていた。そうして私の前の小さな流れの縁を一羽の鶺鴒《せきれい》が寂《さび》しそうにあっちこっち飛び歩いているのにぼんやり見入っていると、突然、私の背後のサ
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