はげしく彼女の心臓が鼓動《こどう》しているのを、その瞬間、私は耳にした。そしてそれが私に、そういう愛撫《あいぶ》を、ほんのそのデッサンだけで終らせた。……私はまだその本物を知らないのだけれど、それが与えるのとちっとも異《ちが》わないような特異《ユニイク》な快さを、そのデッサンだけでもう充分《じゅうぶん》に味《あじわ》ったように思いながら。

     ※[#アステリズム、1−12−94]

 一体、「水車の道」というのは、郵便局やいろんな食料品店などのある本通りの南側を、それと殆《ほと》んど平行しながら通っているのだが、それらの二つの平行線を斜《はす》かいに切っている、いくつかの狭《せま》い横町があった。そんな横町の一つに、その村で有名な二|軒《けん》の花屋があった。二軒とも藁屋根《わらやね》の小さな家だったが、共に、その家の五六倍ぐらいはあるような、大きな立派な花畑に取り囲まれていた。そしてその二つの花畑を区切って、いつも気持のよいせせらぎの音を立てながら流れているのは、数年前まで、そのずっと上流のところでごとごとと古い水車を廻転《かいてん》させていたところの、あの小さな流れであった
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