が真向うに見えます。さっきもいったように、その花がいま咲き切っているんです。が、もう盛りもすぎたと見え、今日あたりは、風もないのにぽたぽたと散りこぼれています。その花に群がる蜜蜂《みつばち》といったら大したものです。ぶんぶんぶんぶん唸《うな》っています。この手紙を書きながら、ちょっと筆を休めて、何を書こうかなと思って、その藤の花を見上げながらぼんやりしていると、なんだか自分の頭の中の混乱と、その蜜蜂のうなりとが、ごっちゃになって、そのぶんぶんいっているのが自分の頭の中ではないかしら、とそんな気がしてくる位です。僕の机の上には、マダム・ド・ラファイエットの「クレエヴ公爵《こうしゃく》夫人」が読みかけのまんま頁《ページ》をひらいています。はじめてこのフランスの古い小説をしみじみ読んでいますが、そのお蔭《かげ》でだいぶ僕も今日このごろの自分の妙《みょう》に切迫《せっぱく》した気持から救われているような気がしています。この小説についてはあなたに一番その読後感をお書きしたいし、また黙ってもいたい。二三年前、あなたに無理矢理にお読ませした、ラジイゲの「舞踏会《ぶとうかい》」は、この小説をお手本にし
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