お話したことのあるヴェランダだけは、そっくり昔のままですけれど……
 ああ、また、僕はなんだか悲しそうな様子をしてしまった。しかし、僕は本当はそんなに悲しくはないんですよ。だって僕は、あなた方さえ知らないような生の愉悦《ゆえつ》を、こんな山の中で人知れず味《あじわ》っているんですもの。でも一体、何時ごろあなた方はこちらへいらっしゃるのかしら? あなた方とはじめて知り合いになったこの土地で、あなた方ともう見知らない人同志のように顔を合せたりするのは、大へんつらいから、僕はあなた方のいらっしゃる前に、この村を出発しようかと思います。どうぞその日の来るまで僕にも此処《ここ》にいることを、そしてときどき誰も見ていないとき、あなたの別荘のお庭をぶらつくことをお許し下さい。
 またしても、何と悲しそうな様子をするんだ! もう、止《よ》します。しかし、もうすこし書かせて下さい。でも、何を書いたものかしら? 僕のいま起居しているのはこの宿屋の奥《おく》の離《はな》れです。御存知《ごぞんじ》でしょう? あそこを一人で占領《せんりょう》しています。縁側《えんがわ》から見上げると、丁度、母屋《おもや》の藤棚
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