目とを合わせないようにして、そっと偸《ぬす》み見ていたきりであった。そんな具合で、私は彼女の顔を、まだ一度も、まともに眺《なが》めたことがなく、それに私の見たときは、いつも静止していないで、しかもそれぞれに異った角度から光線を受けていたせいか、見る度《たび》毎《ごと》に、その顔は変化していた。或る時は、そのやや真深かにかぶった黄いろい麦藁帽子《むぎわらぼうし》の下から、その半陰影《はんいんえい》のなかにそれだけが顔の他の部分と一しょに溶《と》け込《こ》もうとしないで、大きく見ひらかれた眼が、きらきらと輝《かがや》いていた。またそんな帽子をかぶらずに、庭園の中などで顔いっぱいに強い光線を浴びながら、まぶしそうにその眼を半分|閉《と》ざしているおかげで、平生の特徴を半分失いながら、そしてその代りにその瞬間《しゅんかん》までちっとも目立たないでいた脣《くちびる》だけが苺《いちご》のように鮮《あざや》かに光りながら、ほとんど前のとは別の顔に変ってしまうこともあった。
 そのうちに私たちがやっと短い会話を取り交《か》わすようになり、それと共に、屡《しば》しば、私は彼女の顔をまともから眺めるように
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