が村中の者からずっと憎《にく》まれ通しであると言うことだった。或《あ》る年の冬、その老医師の自宅が留守中に火事を起したことや、しかし村の者は誰《だれ》一人それを消し止めようとはしなかったことや、そのために老医師が二十数年もかかって研究して書いていた論文がすっかり灰燼《かいじん》に帰したことなどを話した、爺やの話の様子では、どうも村の者が放火したらしくも見える。(何故《なぜ》そんなにその老医師が村の者から憎まれるようになったかは爺やの話だけではよく分からなかったけれど、私もまたそれを執拗《しつよう》に尋《たず》ねようとはしなかった。)――それ以来、老医師はその妻子だけを瑞西《スイス》に帰してしまい、そうして今だにどういう気なのか頑固《がんこ》に一人きりで看護婦を相手に暮しているのだった。……私はそんな話をしている爺やの無表情な顔のなかに、嘗《か》つて彼自身もその老外人に一種の敵意をもっていたらしいことが、一つの傷のように残っているのを私は認めた。それは村の者の愚《おろ》かしさの印《しる》しであろうか、それともその老外人の頑《かたくな》な気質のためであろうか? ……そう言うような話を聞きな
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