が一ぱい咲いていて、それが或る素晴《すば》らしいもののほんの小さな前奏曲《プレリュウド》だと言ったように、私を迎えた。私は例の木橋の上まで来かかると、どういう積りか自分でも分からずに二三度その上を行ったり来たりした。それから、漸《や》っと、まるで足が地上につかないような歩調で、サナトリウムの裏手の生墻《いけがき》に沿うて行った。私は最初のいくつかの野薔薇の茂《しげ》みを一種の困惑《こんわく》の中にうっかりと見過してしまったことに気がついた。それに気がついた時は、既《すで》に私は彼等の発散している、そして雨上りの湿《しめ》った空気のために一ところに漂いながら散らばらないでいる異常な香《かお》りの中に包まれてしまっていた。私は彼等の白い小さな花を見るよりも先に、彼等の発散する香りの方を最初に知ってしまったのだ。しかし私は立ち止ろうとはせずになおも歩き続けながら、私は今すれちがいつつある一つの野薔薇の上に私のおずおずした最初の視線を投げた。私は、私の胸のあたりから何かを訴《うった》えでもしたいような眼つきで私をじっと見上げている、その小さな茂みの上に、最初二つ三つばかりの白い小さな花を認めた
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