、例の野薔薇《のばら》の莟《つぼみ》の大きさや数を調べながら、あのサナトリウムの裏の生墻《いけがき》の前は何遍《なんべん》も行ったり来たりしたけれど、その方にばかり気を奪《と》られていた私は、其処から先きの、その生墻に代ってその川べりの道を縁《ふち》どりだしているアカシアの並木《なみき》には、ついぞ注意をしたことがなかった。ところが或る日のこと、サナトリウムの前まで来かかった時、私の行く手の小径《こみち》がひどく何時《いつ》もと変っているように見えた。私はちょっとの間、それから受けた異様な印象に戸惑《とまど》いした。私はそれまでアカシアの花をつけているところを見たことがなかったので、それが私の知らないうちにそんなにも沢山《たくさん》の花を一どに咲かしているからだとは容易に信じられなかったのであった。あのかよわそうな枝《えだ》ぶりや、繊細《せんさい》な楕円形《だえんけい》の軟《やわら》かな葉などからして私の無意識の裡に想像していた花と、それらが似てもつかない花だったからであったかも知れない。そしてそれらの花を見たばかりの時は、誰かが悪戯《いらずら》をして、その枝々に夥《おびただ》しい小さ
前へ
次へ
全100ページ中33ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
堀 辰雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング