らずにいる相手の気持もいくらか明瞭《はっきり》しはしないかと思って、却《かえ》ってそういう私自身の不幸をあてにして仕事をしに来た私は、ために困惑《こんわく》したほどであった。私はてんでもうそんなものを取り上げてみようという気持すらなくなってしまったのだ。で、私は仕事の方はそのまま打棄《うっちゃ》らかして、毎日のように散歩ばかりしていた。そうして私は私の散歩区域を日毎《ひごと》に拡げて行った。
或る日私がそんな散歩から帰って釆ると、庭掃除《にわそうじ》をしていた宿の爺《じい》やに呼び止められた。
「細木さんはいつ頃こちらへお見えになります?」
「さあ、僕《ぼく》、知らないけれど……」
それは私が何日頃この地を出発するかを聞いたのと同じことであるのに爺やは気づきようがなかったのだ。
「去年お帰りになるとき」と爺やは思い出したように言った。「庭へ羊歯《しだ》を植えて置くようにと言われたんですが、何処へ植えろとおっしゃったんだか、すっかり忘れてしまいましたもんで……」
「羊歯をね」私は鸚鵡《おうむ》がえしに言った。それから私は例の白い柵《さく》に取り囲まれたヴィラを頭に浮べながら、「あの
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