なぞ行ったら淋しくてしようがあるまいからと言った、例の私の不決断な性分《しょうぶん》から、この土地ならそのすべてのものが私にさまざまな思い出を語ってくれるだろうし、そして今時分ならまだ誰にも知った人には会わないだろうしと思って、こんな季節はずれの六月の月を選んで、この高原へわざわざ私はやって来たのであった。が、数日前にこの土地へ到着してから私の見聞きする、あたかも私のそういう長い不在を具象《ぐしょう》するような、この高原に於《お》けるさまざまな思いがけない変化、それにつけても今更《いまさら》のように蘇って来る、この土地ではじめて知り合いになった或る女友達との最近の悲しい別離。……
 そんな物思いに耽《ふけ》りながら、私はぼんやり煙草《たばこ》を吹かしたまま、ほとんど私の真正面の丘の上に聳《そび》えている、西洋人が「巨人《きょじん》の椅子《いす》」という綽名《あだな》をつけているところの大きな岩、それだけがあらゆる風化作用から逃《のが》れて昔からそっくりそのままに残っているかに見える、どっしりと落着いた岩を、いつまでも見まもっていた。
 私はやがて再び枯葉《かれは》をガサガサと音させなが
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