という名前だったのを私は今でも覚えている。が、もう一方のは忘れた。そうしてその老嬢たちそのものも、その一方だけは、あの銀色の毛髪《もうはつ》をして、何となく子供子供した顔をしていた方だけは、今でも私の眼にはっきりと浮《うか》んでくるけれど、もう一方のはどうしても思い出せない。昔から自分の気に入った型《タイプ》の人物にしか関心しようとしない自分の習癖《しゅうへき》が、(この頃ではどうもそれが自分の作家としての大きな才能の欠陥《けっかん》のように思われてならないのだけれど、)この老嬢たちにも知《し》らず識《し》らずの裡《うち》に働いていたものと見える。
 ……この数年間というもの、この高原、この私の少年時の幸福な思い出と言えばその殆んど全部が此処《ここ》に結びつけられているような高原から、私を引き離していた私の孤独《こどく》な病院生活、その間に起ったさまざまな出来事、忘れがたい人々との心にもない別離《べつり》、その間の私の完全な無為《むい》。……そして、その長い間|放擲《ほうてき》していた私の仕事を再び取り上げるために、一人きりにはなりたいし、そうかと言ってあんまり知らない田舎《いなか》へ
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