は突然外人たちのお茶などを飲んでいるヴェランダのすぐ横を通ったりするのだった。そういう私道なのか、抜け道なのか分からないような或る小径に又しても踏《ふ》み込《こ》んでしまった私は、私の背ぐらいある灌木の茂みの間から不意に私の目の前が展《ひら》けて、そこの突きあたりにヴェランダがあり、籐《とう》の寝椅子《ねいす》に一人の淡青色《たんせいしょく》のハアフ・コオトを着て、ふっさりと髪《かみ》を肩《かた》へ垂らした少女が物憂《ものう》げに靠《もた》れかかっているのを認め、のみならず、その少女が私の足音を聞きつけてひょいと私の方を振《ふ》り向いたらしいのを認めるが早いか、私は顔を赤らめながら、その少女をよく見ずに慌《あわ》てて其処《そこ》から引っ返してしまった。――その時|若《も》し私がその少女をもっとよく見たら、それが数日前に私が宿屋の裏の狭い坂道ですれちがった数人の少女たちの中の一人であることに気がついて、私の狼狽はもっと大きかっただろうに。……
 この頃|刈《か》ったばかりらしい青々とした芝生《しばふ》が、その時にはその少女の坐《すわ》っていたヴェランダをこっちからは見えなくさせていた一面の灌木の茂みに代えられて、そうしていま私のぼんやり立っているこの小径《こみち》からその芝生を真白《まっしろ》い柵《さく》が鮮《あざ》やかに区限《くぎ》って。……そのように、すべてが変っていた。いま私にまざまざと蘇って来たところの、そう言うような、最初に私が彼女《かのじょ》に会った当時の彼女のういういしい面影《おもかげ》と、数カ月前、最後に会った時の、そしてその時から今だに私の眼先にちらついてならない彼女の冷やかな面影と、何と異って見えることか! 彼女の容貌《ようぼう》そのものがそんなにも変ったのか、それとも私の中にその幻像《イマアジュ》が変ったのか、私は知らない。しかし何もかも、恐《おそ》らく私自身も変ってしまったのだ。……
 私はそのとき向うの方から何かを重そうに担《にな》いながら私の方に近づいてくる者があるのを認めた。それは羊歯《しだ》を背負っている宿の爺《じい》やであった。私はいつか彼の話していた羊歯のことを思い出した。
 私は爺やの言うがままに、彼についてその庭の中へおずおずと這入《はい》って行った。そうして爺やが庭の一隅にその羊歯を植えつけている間、私は黙ってヴェランダの床板に腰《こし》かけていた。爺やはときどき羊歯を植えつける場所について私に助言を求めた。その度毎《たびごと》に、私の胸はしめつけられた。
 一通りみんな植えつけてしまうと、爺やは私のそばに腰を下ろした。私の与えた巻煙草《まきたばこ》を彼は耳にはさんだきり、それを吸おうとはせずに、自分の腰から鉈豆《なたまめ》の煙管《きせる》を抜《ぬ》いた。
 私はふだんの無口な習慣から抜け出ようと努力しながら、これもまた機嫌買いらしい爺やを相手に世間話をし出した。
「爺やさん、峠《とうげ》の途中に気ちがいの女がいるそうだけれど、それあ本当なのかい?」
「へえ、可哀《かわい》そうにすこし気が変なんでございますよ、――先《せん》にはうちでもちょいちょい何かくれてやりましたもので、よく山からにこにこしながら、いろんな花を採って来てくれたりしましたっけが。……ただ、そいつの亭主《ていしゅ》というのが大へんな奴《やつ》でしてね、こっちからわざわざ何か持って行ってやったりしますと、いつも酔払《よっぱら》っていちゃあ、『くれるというものなら貰《もら》っといたらいいじゃねえか』と、嬶《かかあ》の気の毒がるのを叱《しか》りつけようてった調子なんですからね。……それで、こっちでもだんだん情が通わなくなって来て、この頃じゃ、もう、ちっとも構いませんです」
「何だってね、――その気ちがいって、ときどき川のなかへ飛び込むんだってね?」
「へえ、そんな人騒《ひとさわ》がせなこともときどきやりますが、あれあどうも少し狂言《きょうげん》らしいんで……」
「そうなのかい? ――どうしてまたそんな……」
 私はふと口ごもりながら、あの林のなかの空地にあった異様な恰好《かっこう》をした氷倉《こおりぐら》だの、その裏の方でした得体《えたい》の知れない叫《さけ》び声だのを思い浮べた。そうしてそれ等《ら》のものを今だにこんなにも異常に私に感じさせている、峠の子供たちの不思議な領分の上を思った。――子供たちよ、よし大人《おとな》たちにはそういう狂行が贋《にせ》ものに見えようとも、お前たちは、そんな大人たちには鎖《とざ》されている、お前たちだけのその領分の中で遊べるだけ遊んでいるがいい。
 爺やとの話は、私の展開さすべく悩んでいた物語のもう一人の人物の上にも思いがけない光を投げた。それはあの四十年近くもこの村に住んでいるレエノルズ博士
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