れを横目で見ている。
その牧場のむこうは麦畑だった。その麦畑と麦畑の間を、小さな川が流れていた。よくそこへ釣りをしに行った。お前は私たちの後から、黐竿《もちざお》を肩にかついだ小さな弟と一しょに、魚籠《びく》をぶらさげて、ついてきた。私は蚯蚓《みみず》がこわいので、お前の兄たちにそれを釣針につけて貰《もら》った。しかし私はすぐそれを食われてしまう。すると、しまいには彼等はそれを面倒くさがって、そばで見ているお前に、その役を押しつける。お前は私みたいに蚯蚓をこわがらないので。お前はそれを私の釣針につけてくれるために、私の方へ身をかがめる。お前はよそゆきの、赤いさくらんぼの飾りのついた、麦藁《むぎわら》帽子をかぶっている。そのしなやかな帽子の縁《へり》が、私の頬《ほお》をそっと撫《な》でる。私はお前に気どられぬように深い呼吸をする。しかしお前はなんの匂いもしない。ただ麦藁帽子の、かすかに焦げる匂いがするきりで。……私は物足りなくて、なんだかお前にだまかされているような気さえする。
まだあんまり開けていない、そのT村には、避暑客らしいものは、私たちの他には、一組もない位だった。私たちは
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