臭そうに、耳にはさんでいた巻煙草をふかし出した。私は何度もその煙に噎《む》せた。そして、それが私の羞恥《しゅうち》を誤魔化《ごまか》した。
 誰かが、私の方に近づいてくる足音がした。それはお前だった。
「何してんの?……もうお母様がお帰りなさるから、早くいらっしゃいって?」
「こいつを一服したら……」
「まあ!」お前は私と目と目を合わせて、ちらりと笑った。その瞬間、私たちにはなんだか離れの方が急にひっそりしたような気がした。
 せっかくボンボンやら何やらを持って来てやったのに、自分にはろくすっぽ口もきいてくれない息子の方を、その母は俥《くるま》の上から、何度もふりかえりながら、帰って行った。それがやっぱり彼女の本当の息子だったのかどうかを確かめでもするように。そういう母の姿がすっかり見えなくなってしまうと、息子の方ではやっと、しかし自分自身にも聞かれたくないように、口のうちで、「お母さん、ごめんなさいね」とひとりごちた。

 海は日毎《ひごと》に荒模様になって行った。毎朝、渚《なぎさ》に打ち上げられる漂流物の量が、急に増《ふ》え出した。私たちは海へはいると、すぐ水母《くらげ》に刺された。私たちはそんな日は、海で泳がずに、渚に散らばっている、さまざまな綺麗な貝殻を、遠くまで採集しに行った。その貝殻がもうだいぶ溜《たま》った。
 出発の数日前のこと、私がキャッチボオルで汚《よご》した手を井戸端へ洗いに行こうとすると、そこでお前がお前の母に叱《しか》られていた。私はそれが私の事に関しているような気がした。それを立聞きするにはすこし勇気を要した。気の小さな私はすっかりしょげて、其処から引き返した。――私はあとでもって、一人でこっそりと、その井戸端に行ってみた。そしてそこの隅《すみ》っこに、私の海水着が丸められたまま、打棄《うちす》てられてあるのを見た。私ははっと思った。いつもなら私の海水着をそこへ置いておくと、兄たちのと一緒に、お前がゆすいで乾《ほ》して置いてくれるのだ。そのことでお前はさっきお前の母に叱られていたものと見える。私はその海水着を、音の立たないように、そっと水をしぼって、いつものように竿《さお》にかけておいた。
 翌朝、私はその砂でざらざらする海水着をつけて、何食わぬ顔をしていた。気のせいか、お前はすこし鬱《ふさ》いでいるように見えた。

 とうとう休暇が終っ
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