いつか僕たちの歩いている街道は草原から離れて、両側が雑木林だの畠だのに変ってきた。そうしてすこし坂道になり出した。そういう地形の変化は、もうさすがの曠野も果てようとしていることを思わせた。それに元気づき、だんだん急になるその坂道をあがってゆくと、その突きあたりに一軒の藁屋根《わらやね》の家が見え出し、そうしてその家の前の、ちょうど山かげになった道のほとりで、一人の痩《や》せた老人がそこだけまだ一面に残っている雪をシャベルかなんかで掻きよせていた。
そこまで坂をあがり切って、その手にしたシャベルに凭《よ》りかかって一息ついている老人に軽く会釈しながら、ふとそのそばを通り過ぎようとした途端、すぐ目のまえに、川を挟んだ小さな部落が見え、そうしてその中ほどには、古びた木橋が一つ、いかにも人なつこそうに、そうして「板橋」という名前をもった村の目じるしのように懸かっていた。そうしていつか私達の眼界から遠ざかっていた八つが岳が、又、ちょうどその橋の真上に、白じろと赫《かが》いていた。
辛夷の花
「春の奈良へいって、馬酔木《あしび》の花ざかりを見ようとおもって、途中、木曾路をまわってき
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